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言葉と文章とプログラムと

ちょっと前にも書いたかも知れませんが。
Twitterで、偉い先生っぽい方と議論になりかけて、ちと噛み合いそうになかったので、早々に負けを認めて退散したことがあったんですが。

「ああ、こりゃダメだ」と思った一言があって。
文章を構成する、てな話になったときに、「書きたいことがあって、それを章構成に分解して、必要ならさらに節、さらにこまかく〜」なことを言ったら、「書きたいことなんてないよ」と返されたことを思い出しまして。

書きたいことがないのに、文章とか書けるものなのか、と思ったわけですが。
同様に、プログラムなんかもそうだし、絵なんかもそうかと思うんですが。
「表現したいもの」や「目的」、「訴えたいもの」があって、初めて文章や絵、プログラム、音楽になるんじゃないのかな、と常々思っていたので、そういうもののない方とは、たぶん議論にならないな、と思ったな、という話で。

何かを作る、ということは、何か目的があるものではないか、と思うんですよね。
それが文章であれ、プログラムであれ、絵であれ、音楽であれ。
まあ、芸術的な要素の強い絵画や音楽の場合には、自己表現だったりするのかも知れませんし、誰かに伝えよう、という意識はないのかも知れませんが、文章やプログラムは、目的があって、初めて書かれるものではないのかな、と思うわけです。
#どちらも自己表現にはなり得ますけど。

まあ、あの場合は、相手の意図を正しくワタクシが理解出来なかった側面もあるので、その方が間違っているというつもりも毛頭ないのですが、ワタクシに取っては、やる気を削がれた一言であったのは間違いありません。

してみると、言葉の持つ威力ってのは、結構大きいのだな、と思う一方で、改めて「目的なしに文章を書く」ってのはないなぁ、と思うんですよね。

ブログ書いてるのは、まあ、「書くこと」そのものが目的化しているところもあり、中身の文章には、それほど価値がないかも知れませんが、それでも「公開日記」なので、その時、その時に思ったことを綴ってるわけで、後から読み直してみると、それなりに自分でも面白いわけで、そこには価値があるのかな、と思うんですね。
#中身が面白いのではなく、「この時自分はこんなことを考えていたのだな」というのが面白いということです。

プログラムに至っては、明確に「目的」がなければ、プログラム化することが出来ません。
#ワタクシの場合。
何かを証明するためのプログラムとか書いたことないし、そういう研究用のプログラムは、ちと異なるのかも知れませんが、「これをするためのプログラム」という目的は、それらのプログラムにもあるとは思うんですね。
なので、全体を見渡した上で、こういうことをする、という目的を分解して、トップダウンで構成を考えて、個々の要素をブレイクダウンして、最終的には一個の関数になる、という考え方をしています。

で、これ、文章書くときも似たようなことをワタクシはしてるんですね。
ブログ書くときも、ざっくりとは考えて書いてます。
まあ、そんでもざっくりしか考えてないし、推敲とかしないので、脇道にそれまくったりするんですが。(笑)

プログラムなら、関数、文章なら言葉、それらは、きちんと組み立てて、構成されてこそ生きるんじゃないのかな、と思ってたりするわけです。
文章もそうだし、プログラムにも起承転結ってあるんじゃないの、と思うんですよね。

起承転結を意識するってことは、即ち構成をしているということだと思うので、言葉は違えど、大なり小なりみんなやってるんじゃないか、と思ってたりするんですが。

天才と呼ばれるひとは違ったりするのかも知れませんし、ワタクシは天才に会ったことが(たぶん)ないので、そこまでは解らないんですが。

ただ、やっぱり言えるのは、文章なら言葉、プログラムなら関数、これらを粗末に扱うような、それらの影響をきちんと意識して書かれていないもの、起承転結という構成を意識して書かれてないものは、他人には読みづらいと思うんです。

文章や、プログラムが目的を持って書かれているものであれば、なおさら、他人に伝わらない可能性の高いものは、書かれるべきではないし、ある程度は他人に読まれることを意識した書き方をすべきじゃないのかな、とワタクシは思ってるんですよ。

んで、そういうことを意識できる人間の書いたプログラムってのは、やっぱり、使う側のことを考えてるはず、なんですよね。読み手を意識できるんだから、プログラムだって使い手を当然のように意識するわけで。

だから、よい文章を書ける能力のあるひとは、良いプログラムを書けるだけの潜在能力はある、とワタクシは考えているんですけどね。
#まあ、文章は書けるけど、プログラムに興味がないなら、それは無理かも知れませんけど。(笑)

言葉と文章とプログラムってのは、ワタクシ的には、このように密接な関係を持ってると思ってるんですが、案外、他の方々は、意見が異なるのかも知れませんね。



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コメント

プログラミングはわかりませんけど。
文章の場合、メッセージを伝えるためのうまい戦略ってのは、確実にあるんですね。名人上手の書いた文章を読むと、それがよくわかります。
ところが、そういった名文を書く作家が戦略を考えて書いているかというと、たぶんそうじゃないんですね。ほとんど直観でそういうことをやってる。だからこそ凄いわけです。それはそれで、確かに素晴らしいことです。ところがそれを賛美するあまり、それ以外のものに否定的になる──特に日本じゃ、戦略とか構造とか分析しはじめると、小手先で文章を書くようになってスケールが小さくなるって思い込みが支配的です。だから、学校でも「のびのび書きなさい」みたいなことが非常に強調されてしまう。

けど、考えずに名文が書けるのは天才だけなんですよ。なんか、あらゆる人に天才の名人芸を身につけろって言ってるみたいなところがあるんですね。

天才でない平均的な書き手は、天才のやったことを分析して、その無意識の戦略を意識して利用しなきゃいけないと思うんですよ。

それで、戦略を効果的に使うためには、目的、つまり「伝えるべきメッセージ」を最初に把握することが重要なんですね。私は以前、ネット上で文章講座みたいなのをやってたことがあるんですが、結局、この最初のステップをわかってもらうだけでほとんどのエネルギーを費やしましたね。つまり、平均的には、メッセージの把握ができていない場合がほとんどなんですよ。だから文章がガタガタになる。戦略もなにも立てようがないわけです。


日本人の書いたものが論理的でないってよく言われるんですが、これは一般に信じられているように言語の特性とか感性の問題とかじゃなくて、単に思い込みと訓練の問題だと思うんですよね。前にもコメント欄で暑苦しく語ってしまいましたが、ほんと、国語教育には問題ありだと思います。

投稿: 松本 | 2010年8月17日 (火) 10時14分

この前、NHKで、職人の技術を科学的に分析して、後継者を育てるマニュアルを作成する、ということを行ってる大学の研究の番組を見ました。
こう、職人の作業にモーションキャプチャーのシステムを使って、素人、あるいは、その後継者として育成中のひととの動きの差を視覚的に見えるようにするシステムを開発して、どうすればよいのか、の指導に役立てる、という部分だけチラ見したんですが。

名人は無意識にやってることってのは、やっぱり素人や、その技術を学び始めた人間には、解らない、ってのを言ってまして。

松本さんのコメントを見て、ああ、文章にも同じことが言えるのだな、と改めて思いました。

学校教育の問題は、なかなか根が深そうなので、簡単に改善とは行かないような気がしますが、文章の「なぜ」に回答を与えられない教育はいかがなものか、とは思いますね。

文章がツールっていうのは、社会に出てから、企画書や提案書、我々の仕事だと仕様書などを書くときにイヤというほど思い知らされるのですが、若年層に、なかなか理解されない、というのは確かにあります。
思い込みで書かれた文章は、レポートにもならないし、ましてや顧客を説得することなんて出来ないんですよね。構成をきちんと考えて、順序立てた説明と、相手の知識レベルに応じた注釈、または専門用語を廃した説明など、「自分で解る文章を他人が読めないのはおかしい」的な感覚は、廃していかないと、よいドキュメントが作れない。
まあ、我々の業界では入社してから地道に教育するってことでやってますが、学校教育で文章をツールとして使う、という教育を高校とかでやってくれると、日本語社会全体が良くなるような気はしますけどね。(笑)

投稿: かおりん | 2010年8月17日 (火) 12時28分

> 学校教育で文章をツールとして使う、という教育を高校とかでやってくれると、日本語社会全体が良くなるような気はしますけどね。(笑)

いや、ほんとそうなんですよ。私の仕事がずっと楽になる(笑)。意味不明の文の解読で失われる時間は、実にもったいないですから。

投稿: 松本 | 2010年8月17日 (火) 12時59分

我々の仕事も少し減りますよ。(笑)
「なぜ文章が大事なのか」から説明しなくて済みますからね。

投稿: かおりん | 2010年8月17日 (火) 13時13分

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