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ま、このブログ向けのネタじゃないんだけどさ。

しばらく前だったかなぁ、Twitterの方でRTだかされてた内容に、小学生の娘にされた質問、みたいなのがあって。
「どうしてひとを殺しちゃいけないのに、死刑はあるの?」
てな質問だったらしい。

まあ、そら小学生にしてみれば、尤もな疑問だわなぁ、と思うと同時に、これ、ちゃんと説明できる親ってどのくらいいるのかな、とか思ったりもした。

法律家じゃないから、法の精神とか語るつもりもないし、そもそも小学生にそんな説明しても仕方ないと思うし。

解りやすく説明するのって、案外難しいかもなぁ、とかその時は思ったんだけど。

んでも、考えてみればワリとシンプルな話なのかなー、とか思った。

本質は「人を殺していけない」ことではないな、とか。
人を殺してはいけない、ことを中心に話を持って行こうとすると、どうしても「死刑」を認めることが出来ない。
ここが難しいとこだよな、と思ったわけで。

でも、本質は「人を殺しちゃいけない」ことではなくて、「自分がやられたらイヤなことをひとにしてはいけない」じゃないかな、と。
まあ、子供に対しては、ごく当たり前に語られる躾の話で説明がついてしまうんじゃないか、と思った。

つまり、「人を殺してしまうと、死刑になる場合がある。誰だって、殺されて、未来を奪われるのはイヤだよね?だから、そうしないように死刑が定められているんだよ」で説明出来るのかな、とか。

まあ、善悪の基準を、どこに定めるか、ってのは難しい話なんだけど、基本は「自分がやられたらイヤなことをひとにやってはいけない。自分がして貰ったら嬉しいことはひとにもやってあげた方がいい」ってことになるのかな、とか思うわけで。

んで。
システム設計なんかも同じだよなぁ、と思った次第。(笑)
#強引な展開ですが。

自分で使って、これダメなんじゃね?ってシステムは、やっぱり誰にとってもダメだし、自分で使って、「お、これ行けんじゃね?」ってシステムはワリとウケがよいんですよね。

まあ、善悪の基準をどこに置くかってのと、似たような部分ではあるので、あまりに個性的なUIに対する感性を持っていると、まったく的はずれなUIが完成したりしますけど。w
#ドMなひとが「やれれてうれしいこと」をひとにやったら結構大変じゃないかと思うわけで。

まあ、死刑とは関係ない話になりつつありますが。
まずは、「相手のことを考えよう」ってのは、共通した考えでいいのかな、と思うわけですよ、常識にしても、システム設計にしても。
明文法以外にも、不文法として成り立ってる日本古来のシステムもあるわけで、それらも含めて、システム考えるとき、プロジェクトの進め方を考えるとき、ひとに説明するとき、常に、相手のことも考える、ってのが必要なんじゃないかな、とかね。

そうすれば、まあ、大抵の場合は上手く行くと思うし、なんで死刑があるのかも説明できるんじゃあないかな、と思った、というお話。

ま、あんまし、このブログ向けのネタじゃあないわな。(笑)

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