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変な夢

変な夢を見ていた。
あまりにも変な夢なので、書き留めておこうと思う。

夢のなかでワタクシは、ある競技に参加するために、長野に来ていた。
#北陸かも知れない。雪景色から、勝手に長野と決めつけてただけで。

その競技とは、至ってシンプルな競技で、Nゲージの車両のように、精密、かつ緻密に作られた模型を、「手でレールの上を滑らせて」、どこまで行けるか、あるいは、タイムを競う、という競技だった。

コースは、まんま、どこかの駅を改造したかのような場所で、ホームに昇り降りするためのエスカレーターの間に、そのレールは敷かれている。
もちろん、それだけでは、下りの距離が足りないので、下りの方は延長してある。
下りは一定距離到達は当然のようで、問題は、その距離に到達するまでのタイム、上りは、エスカレーターの上りを登りきれるかどうか、に勝負の行方は掛かっていた。

もちろん、競技用車両は市販されているものだが、それぞれにチューニングが施されており、例えば、車両についている車輪など、合計で18輪もあるが、それぞれに小径のベアリングが仕込まれており、それを支えるシャフトは、緻密なサスペンションで支えられていた。
外装は美しい流線型をしており、それぞれに独自のペイントが施されたそれは、実に美しく、ひとつのジャンルを形成するに値するものであった。

動力は一切なし。
純粋に人間の腕力のみで、その車両を駆動する。
しかし、わずか数センチのレールの幅を、ひとの腕のみで、車両を滑らせて押し出す、というその競技は、腕力そのものよりも、より緻密な操作と、その動力である腕力を、どのように車両に正確に伝えるか、また、その車両が、いかにその動力を受け止められるか、の2点に集約している。
つまり、緻密な人の操作、そして、緻密な車両のチューニングが、その競技のすべてである。

と、ワタクシは考えていた。

友人と初参加の、その大きな大会には、地方大会で見知った顔などもあり、競技というわりには殺伐とした風景はなく、始終和んだ風景の中で行われる。
会場には、家族連れで競技に参加している意外に子供の姿を見ることはなく、これはれっきとした大人の趣味、競技だった。
そして、その和やかな風景が一変する瞬間がある。

車両の投擲(まさに投擲と言って良いだろう)の瞬間。

車両の投擲の瞬間、競技者は息を呑み、じっとそれを見守る。
その瞬間だけが、会場が静まり返る一瞬であった。

友人は、初参加の大会の中で、それなりに上位を狙える結果を得ていた。
彼は、コツは掴んだから、最後の投擲で優勝を狙うと笑っていた。

一方ワタクシは、最初の上下一投は、それなりに上手く行ったが、下りの投擲がマズかったのか、その投擲の後、車両は脱線してコースアウトしてしまっていた。
それでも、規定距離は超えてからの脱線だったため、記録は記録として残り、いわゆる予選の結果としては悪くはなかったわけだ。

しかし、以降の投擲では、車両はバランスを崩したかのように、上手く腕の力をレールに乗せてくれなくなっていた。

車両の足回りなど点検しても、それは変わらず、ワタクシは芳しい成績を残せずに、最後の投擲を迎えようとしていた。

その直前、ただのギャラリーだと思っていた老婆がワタクシの車両を指さし、分解してみろという。
それは買ってから、一度も手をつけたことのなかった部分であった。

そこをチューニングするなど、聞いた事もないし、考えたこともない。
そもそも、そこが分解可能であったことも忘れていたほどだ。

分解してみると、そこには、運転手が「いた」。
模型ではあるが、緻密に作られた「それ」は、間違いなく、この車両のドライバーだったのだろう。
小さな「蓋骨」が、そこには横たわっていた。
その蓋骨を老婆が指差す。
「頚椎が折れている。これでは運転出来ないわねぇ…」
見れば、確かに蓋骨の頚椎はぽっきりと折れていた。

無人の模型車両と思われていたものにドライバーが「いた」こと自体も驚きだったが、そのドライバーの状態が、競技に重要だった、そのドライバーが人間の与える動力を制御して、車両をコントロールしていたのだ、と直感的に理解したワタクシには、その緻密過ぎる構造の方が驚きだった。

老婆の宣告は、「この車両は死んでいる」ことに他ならなかった。
だから、もう良い成績を残すどころではない、まっすぐにすら走らないのだ、と。
外側をいくら見直して、取り繕っても、それなどうにもならない。
根幹で死んでいるのだから。

「これは、もう一度死んだのだから、生まれ変わって貰いましょう」
と老婆は言う。

ああ、そうなのだ。
これで終わりではない、死んだのなら、生まれ変わってやり直せばよいのだ。
構造を知らなかった。ならば、これから知ればよい。
死んだのなら、また1から始めれば良い。
そこが終わりではないのだ。

ワタクシの、この大会は終わった。
しかし、これが最後の大会ではない。
まだ次の大会もある。

まだ終わりではなかったのだ。

…という感じの夢だった。
世の中の競技を全部知ってるわけではないので、この競技が実在するものかどうかはワタクシは知らないが、実際には、ワタクシはこんな競技を知らないし、なんでそんな競技を夢に見たのかも解らない。

ただ、競技の中、うまく行かないことに対する焦り、比較して上手く行ってる友人に対しての嫉妬、などなど、それなりの長い夢だったんじゃないかと思うのだが、いろいろな感情が去来したように思う。

ただ、最後の「一度死んだのだから、生まれ変わって、やり直せばよい」という部分が強く印象に残っていて、そこで安心したようにも思える。
転生願望があるわけでもないと思うが、もしかしたら、あるのかも知れない。
それ以前に、夢のなかでも生まれ変わるのは、車両であって、ワタクシ自身ではない。
それでも、今までのことは、もう終わりにして諦めて、もう一度、やり直せばよい、という意味なのだとしたら。

それは、現在のワタクシにとって、意味のある言葉なのかも知れない。

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コメント

全く違うが、チョロQの走行距離競争を思い出した。
あれも息飲んで発進させてたなあ。

投稿: omiya | 2012年5月17日 (木) 05時30分

拍手。

投稿: 松本 | 2012年5月17日 (木) 22時17分

心の声どすな。

投稿: ねこあたま | 2012年5月18日 (金) 07時48分

完璧な設計のおかげで

投稿: internet promotion | 2012年5月29日 (火) 12時43分

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