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Runaway

世界は危機に瀕していた。
環境破壊に起因する気象の激変。
暑い場所はより暑く、寒い場所はより寒く。
これまでとは比較にならない規模の台風やハリケーンの被害、繰り返される巨大地震。復興を掲げても、それを嘲笑うように連続して大地震が襲い、津波により沿岸部は洗われる。
地球という星が人類という種を拒んでいるのではないか?
一部の非科学的な人々の語るそれを信じてしまうひとが出るほどに、地球環境に人類はいたぶられていたのである。
さらには、そんな状況にありつつも、相互理解のできない民族同士の小さな激突。
本来、各国が手を携えてことに当たらねばならない状況下でも、価値観の違いは互いの手を拒絶する。
化石燃料に変わる新エネルギー開発も遅々として進まず、資源の涸渇に怯えながらも、掘り出される化石燃料。
化石燃料涸渇への不安は、安易に原子力発電への置き換えを促し、予測を超えた規模の災害によって、原子力発電所そのものが破壊され、撒き散らされる放射性物質。
人類が足掻けば足掻くほど進む砂漠化。
先進諸国は自ら旗振りを行い、環境改善を謳っていたが、それには実質は伴わず、環境は悪くなる一方であり。
その結果。
絶滅危惧種は、年を追うごとに追加されまくり、放射能汚染で居住可能な地域は激減し、人類そのものも、種々の世界が抱える問題で徐々にその数を減らしていた。
自然の前に人類の技術や科学といったものは無力でしかなく、それでもやけっぱちで破滅のボタンを押すこともなく、人類と地球という世界は、これまでの行いのツケを支払わされることで、徐々に滅亡へと向かっていたのだった。
そこに宇宙人がやってきた。
ぶっちゃけた話、地球人類以外の、文明を持ち、なんだか外宇宙から飛来した謎の生命体だ。
彼らは、地球人の持たない文明と科学を持ち、それでも危機に瀕していた。
彼らの住んでいた惑星が、その星系ごと滅亡したからだ。
へたに科学文明を持っていた彼らは、星系ごと滅亡するのをよしとせず、大宇宙へと進出してしまったのである。
移住可能な惑星を見つけるために。
聞けば、きっと長い歴史を語ってくれるだろう異星人は、特に語ることもなく、地球人へ救いの手を差し伸べた。
「何かお困りですか?」
ファーストコンタクトはそんな言葉だったと記されている。
自分たちの住むべき星を失って宇宙をさまよう文明に、地球人は、あろうことか気を使われてしまったわけである。
正直、地球人は困っていた。
救いの手があるのなら、なんにでも、それこそ藁でも掴んでしまいたいくらいに困っていた。
なので、最初にコンタクトを取った国は、一も二もなく、すがりついてしまった。
「ええ、実は困ったことになっていましてね?」
日本だった。
なぜ日本が最初のコンタクトの対象になったのかは、推し量るしかないが、単に言語が似ていたからとも、困り具合が一番だったとも言われている。
コンタクトを取ってしまってから、その事実は世界に公開されることになる。
やっちゃったもん勝ちである。
日本の領海に、厳かに着水した異星人の宇宙船は、最初、巨大な樹に見えた。
いや、実際、巨大樹だったわけだが、それは彼らの生態系にもよる話なので、今現在においても細かなことは解っていない。
事実として認識できることは、その巨大樹を宇宙船の軸として、彼らは大宇宙をさすらっていたのであり、それは彼らにとっては当然ということだけだった。
しばらくは通信による対話がなされ、世界的にもそれは中継され、自分たちこそが世界のリーダーだと言って譲らない国々から非難轟々ではあったが、対話は順調に進み、最終的に生身での対話がなされることになる。
彼ら謎の生命体、宇宙人、異星人の見た目は、とても人類に似ていた。
日本はファンタジー文化が進んだ国でもある。
そこだけは世界一ということもできるかもしれない。
その世界一の文化で見た彼らは、ファンタジーによく出てくる「エルフ族」によく似ていた。
長い耳、小柄な体。高い知性。
よって、それから彼らのことは「エルフ」と呼称されることになったが、地球産のエルフ族がどう思ったのかは解らない。(実在は確認されてないし。)
エルフ達は、地球に対して技術供与の用意があることを伝えた。
さらには、自分たちは滅亡に瀕していて、地球人の手助けが必要ということも、隠すことなく伝えていた。
宇宙船は巨大なものであったが、人工睡眠状態に置かれている同胞も含め、エルフ族は100万人前後であることも明らかにされる。
日本で言うところの大きめの都市サイズでまかなえてしまう人口である。
たまたま立ち寄った星系に、自分たちが生存可能な惑星を見つけたことは奇跡の偶然だった、とエルフ族の長は告げる。
しかし、彼らは控えめに言ったのだった。
「お困りの点については、我々は可能な限りの助力を約束できます。」
そして少し困ったような顔をして言った、と記録されている。
「もしも、もしもですよ?それが可能なのであれば、我々をこの星に受け入れてくれることを検討しては貰えないでしょうか?」
助力の内容を知った地球人は確信する。
エルフ族は、簡単に地球人類を侵略できた。
それほどに文明レベルに差があり、そして、その文明レベル差を相手に戦うことができるほど、地球人類に勢いはなかったのである。
世界は考えた。
エルフの助力だけ受けて、文明レベルを一時的に加速し、地球人類だけで、現在の困難を乗り切ることは可能だった。
それは、やむなく日本を代表国として認めた世界各国との共同会議の中、技術者、科学者が明らかにしたことだ。
この時点で、エルフ族の具体的な助力も、その科学の一端も、そしてそのための機材もある程度公開されていたからだ。
彼らはこう言っていたのだ。
困ってるようだから、その点では助けます。自分たちも困ってるけど、別に助けてくれなくてもいいよ、でも、よかったら助けてくれると嬉しいな、と。
自分たちの安全を考えるならば、助けて貰うだけ助けて貰って、その後、エルフ族には出て行って貰うのが確実かと思われた。
しかし。
そこはこれまで戦争でしかコミュニケーションを取って来なかった世界である。
見せられた技術はどれも地球人類は未到達の技術で、それを破壊に使用するならば、地球なんて簡単に500回くらい破壊できるようなシロモノばかりだった。
後から手のひらを返して、侵略行為に出ないとも限らない。
助けてもらって、出て行けと言えば、簡単に出ていってくれるとは到底信じられなかったのである。
結果的には。
地球人類はエルフ族に助けを求めた。
そこまで世界は疲弊していたし、自力で立ち直ることはどう考えても不可能だったからだ。
最初、不承不承という形で、世界は彼らを受け入れた。
続く10年で、地球を含む世界は大きく変わった。
というか、元に戻った。
人口こそ、ゆるやかな増加にとどまったが、地球環境は20世紀初頭程度までは回復し、破滅は回避されたかに見えた。
しかし。
世界は相変わらず騒々しく、国によっては飢餓状態が続き、理解されぬ民族紛争は続いた。
エルフ族がやってきても、地球人類は大差なかったのである。
エルフ族は、惑星改造の技術を持っていた。
その気になれば、地球に存在する、地球人類にとって不都合のある部分を根こそぎ改修することも可能だったが、彼らはそれを行わなかった。
彼らの弁によれば「それを求められなかった」からであるらしいが、世界各国にしてみれば、ある意味、それはありがたかったのだ。
極端に環境が変わってしまうこと、それをエルフ族によってなされることは、地球の支配者は地球人類ではなくなったことを認めることと同義である。
あくまで環境の改善は、エルフ族の「助力」により、地球人類の手でなされねばならなかった。
だから、よく解らないプライドで、「エルフ族による地球改造」を避けたかった各国は、エルフ族のそのスタンスをありがたいと思っていたはずだ。
なので、世界は相変わらず騒々しいままだったが、それでも地球人類は、エルフ族のサポートを受けて、徐々に立ち直っていったのだ。
そして、世界はエルフ族を隣人として受け入れた。
文明としても、種としても、明らかに上位と思われるエルフだったが、それでも先住民である地球人類としての堅持もあり、どうにか納得の行くポジションが「異星から来た隣人」だった、ということだ。
ただし、地球という環境を管理することは、隣人であるエルフに丸投げしてしまった。
地球人類がこのまま地球を管理していても、結局はまた破綻することは目に見えていた。
そのため、世界は協議の結果、エルフ族に地球という星の管理を丸投げしてしまったのである。
エルフ族は、地球の政治には関与しない。国家間の争いや、各種外交など、地球人同士のことには、一切口を出さない。
その代わり、星という環境に関することにだけは口を出す権利と相談される義務を得て、地球に同居することを認められたのだった。
エルフ族は、その世界の決定を受けて、最初に着水した日本の近海、排他的経済水域に宇宙船を展開した。
具体的には、巨大樹、後に世界樹と呼ばれる宇宙船の根幹を、海底にまで根を伸ばして、大地から栄養を得られるようにしたこと、最小限にとどめていた枝葉を広げ、エルフ族のエネルギーを太陽から得るようにしたことである。
そして、そこがエルフ族の都市として、世界に認められたのだった。
それから300年が経過することになる。
その300年の中でもいろいろあったが、世界は、ほどほどに平和で、騒々しく、そして今日も変わりがなかった。
唯一、エルフ族という隣人を得たこと以外は。
地球人類も、国家や政治のレベルでは積極的にエルフ族に関わることはなく、300年が経過した今も、あくまで隣人としての扱いから変化はない。
ただし、一般人のレベルにまで落として見てみれば、「世界樹」は一種の観光地になっていたし、そこで商う地球人が、一部の地域にではあるが、住み着いてたりもしていた。
300年の年月の中では、エルフ族を研究する地球人もいたわけで、その中で、地球人類とエルフ族は互いに交配可能という事実と、彼らが非常に長命であることが明らかになった。
エルフ族は、エルフ族の居留地である「世界樹」から、あまり外に出ることはなく、そのため、混血はそれほど進まなかった。あくまでも、望めばそれは可能ということと、幾つかの実例が確認された程度にとどまる。
そして、300年前に、最初に日本と交流を開始したエルフ族の長が、外見そのままに、いまだ長としての役目を終えていないことからも、その長寿は明らかであった。
推定寿命数千年。エルフ族は、生まれて20年ほどで、その外観を得る。それまでは地球人類同様に、赤子から成長していく。それはエルフ族からもたらされた情報により明らかになる。
そして、20年を経て成人すると、そこからは非常にゆるやかに老いて行く、らしい。
形質としては、ほぼ不老不死。
気質は、これまでの歴史から明らかな通り非常に穏やか。
過去の交渉、交流の記録を見ても、エルフ族が激昂したことなど、一切記録がなかった。
あくまで全体的には、ということであり、個人差があるようだ、というのは、地球人類が「世界樹」に住み込むようになってから解ったことである。
100万人いれば、100万の個性がある。それはエルフ族も地球人も変わらない。
しかし、交渉の場において、エルフ族は非常に穏やかで、常に待つ姿勢だった。
それは、地球人類から見れば異常に長い寿命がそうさせるのかも知れない。
世界は、そういうエルフ族を隣人に置き、これまでと変わらぬ歴史を騒々しく繰り広げていく。
僕は走っていた。
何のために?
逃げるために。
そう。僕は、迫り来るいろんなものから逃げていた。
具体的には、警備員やガードロボットや、もしかしたら警察からも。
それは僕が犯罪者だから?
いや、違う。
僕は犯罪者ではないし、もしも犯罪者になるとしたら、この逃走劇が終わって、なんらかの裁判の果てに決着することだと思う。
僕は違うと思いたいけど、もしかしたら、全力疾走で犯罪者への道を駆け抜けているのかも知れない。
いや、違うと信じてるんだけど。
僕の右手には、華奢な左手が握られている。
そう、この逃走劇には同行者がいるんだ。
小柄な同行者。
耳のとがった、エルフの女の子。
僕が走っている原因。
…なんでこんなことになったんだっけ?
「あれー?エルフ?」
平日の昼下がり、目的地への道すがら、すれ違った女性の耳が長くとがっているのを見た僕は小さくつぶやいた。
アクセサリかも知れないな、と僕は思う。
エルフは、300年前に地球人類の隣人となった種族だけど、そんなに数は多くない。
街中ですれ違う偶然なんて、そんなに多くはないはず。
ハーフやクォーター、それから遠い先祖にエルフ族がいるひとなど、最近ではそれほど珍しくはなくなったけど、純血のエルフ族は、やっぱりまだまだ珍しい。
「まあ、純血かどうかなんて、見た目からは解らないけどねー。」
小柄で華奢な女の子が、エルフ耳のアクセサリを付けてしまえば、地球人でも見た目はエルフ、なんてことになる。自己申告以外で見破るのはちょっと難しいくらいに、アクセサリは出来がよかったりする。
…僕たちの目から見れば、妖精のように美しいのもエルフ族の特徴かもね。
イメージとしては小柄で華奢、だけど、長身でグレートなボディのエルフ族もいるらしいとは聞いているけど。
僕自身は、リアルエルフ族なんて見たことないので、なんとも言えない。
TVにもめったに出てこないしなぁ。
見に行こうと思えば、「世界樹」への道は開けているわけで、ちょっと観光気分でエルフ族を見に行くことはできるけど。
最近は修学旅行の行き先が「世界樹」なんてところもあるらしいなぁ。
今度の休みに、同僚でも誘って「世界樹」にでも行ってみようか、なんてことを考えてみる。
僕らの街からは、意外と「世界樹」は近い。
直通の列車が走っていて、30分ほどで「世界樹」だ。
「時速450km/hの列車の旅なー。」
ま、本当ならツアーに申し込んで綺麗なお姉さんに案内されながら回るのが楽しいんだと思うけどね。
むさくるしい同僚と行ってもなぁ。
それこそ、エルフに友達がいれば、案内して貰うのは楽しいかもね。
でも、そんな友達いないしー…
と、目の前をドラム缶を小さくしたような警備ロボット兼清掃ロボットが走っていく。
走っていくといっても、それほどぼべらぼうな速度じゃないけど。
人が歩くより、少し速いような、そんな程度の速度だ。
…これも基本テクノロジーはエルフのものだったんだよね。
いずれは地球人類でも開発は出来たようなものだけど、エルフ側から技術提供のあったもののひとつが、このガードロボットだ。
自律駆動し、犯罪行為への取り締まりと、道端のゴミの回収を行う。
スタン機能が組み込まれていて、「比較的」安全に犯罪者を取り締まるわけだ。全高1m弱、直径45cmほど。
ひとの腰の高さほどの小さなドラム缶の内部は、ほぼ空洞で、そこに集めたゴミを格納している。
巡回ルートは決まっているけど、ネットワークで繋がれてる彼らは犯罪行為を検知すると、集まってくる。包囲して容疑者を確保するためだ。
移動は基本タイヤで行ってるようだけど、一度階段を登ってるところを見たことがあるから、脚も内蔵しているはず。
器用なものだね。
…実は、ソフトウェア制御の部分に我が社の技術が入ってるんだよねー。
都市部では珍しくなくなったガードロボットの他に、各部に配置されている街頭カメラによるセキュリティは、街頭での軽犯罪を激減させた。犯罪を検知するとガードロボットがサイレンを上げてやって来るし、警察にも連絡が入る。何より、見られていると思うと、うかつに犯罪行為も出来ないものだし。
基本は、エルフの宇宙船に搭載されていた技術だったけど、地球の都市部に適用するためにカスタマイズが入ってるんだよね。
で、たまたま、そのソフトウェアの一部を僕の会社で担当している、と。
まあ、僕自身、それらのシステムに興味があったから、今の会社に入社したわけだけど。
本当なら、それを提供している大元の会社に入りたかったけどね。
そこは落ちたし。
今向かってるのがその会社なんだけど。
そう。
平日の昼間っから僕がのんびりと歩いている理由というのが、その巨大企業E.L.Fへの納品のためだったりする。
本来、新米の僕なんかが行くような場面じゃないんだけど、別のプロジェクトが爆発、炎上したため、諸先輩方は、その鎮火に忙しい。
それで、納品のため、僕が選ばれたわけだ。
納品といっても、ソフトウェアなので、実はそのものはすでに納入されて、客先での検証も終わってる。
僕がこれから行うのは、名目としての納品。
ソフトウェアが入ったメディアをE.L.Fに納めて、納品書にサインを貰ってくるだけ。
こんなもん、電子媒体で処理すればよかろうに、とも思うけど、我が社の伝統とかでー。
実際には、納品のあとの雑談から、次の案件を引き出すのが主な目的、とは先輩から聞いたけど、今回の僕の役割にはそれは含まれてない。
つか、そんなのまだまだ新米の僕には出来ないし。
本当に「はじめてのおつかい」レベルの仕事なわけで。
なので、無事に納品が終わったら、今日はそのまま仕事は終わりにしていいことになってる。
納品書は後日会社に提出。本当に書類上のものだけだしね。
近いんで、戻ろうと思えば戻れるんだけど。
ぶっちゃけ、このプロジェクトが僕の主な仕事だったから、これが終わってるということは、僕の仕事は終わってるということで、本来なら次の仕事の指示が来るはずなんだけど、それが火だるまプロジェクトのおかげで滞っている、という事実があって。
「あのプロジェクトには関われないしなー。」
街頭カメラから得られた映像から犯罪予測をするという機能の大規模アップデートが、今火だるまプロジェクトとなっているもので。
ちなみに、これもE.L.Fからの発注。
E.L.Fって何をしてる会社なんだろうね。
入社試験受けといてなんだけど。
僕がやりたかったのは、ガードロボット開発の方なので、正直、街頭カメラのセキュリティシステムにはあまり興味がなかった。
ある程度の部分を我が社が担当していると知ったのは、入社後のこと。
先輩が新人歓迎会の飲み会の帰りに街頭カメラに手を振りながら、さらには、そのへんに転がってた棒切れを振り回し、セキュリティシステムの自慢してたらガードロボットがソッコーやってきて先輩にスタンをかけて、先輩が警察に連れられて行ったのは、ちょっとだけ懐かしい話だ。
なお、罪状は、酔っぱらいが僕に対して傷害未遂、という解りやすいものだったけど。
ちなみに、警察からの引き取りにも僕が行った。先輩、感謝して下さい。
なんて、過去の思い出を振り返ってたりするうちに、E.L.Fに到着した。
「相変わらずデカイよなぁ。」
地上60F、地下はどこまであるか解らない自社ビルは、この区画をまるごとビルとしており、それが本社ビルで、その周辺にも関連ビルが幾つか。
本当にデカイ会社だった。
すでに来訪の予約はしてあるので、受付カウンターのきれーなお姉さんに会釈したあと、呼び出し端末を操作する。
10Fの応接ルームが指示されるので、エレベーターへ。
エレベーターも何台あるのかね。ぱっと見5台以上は並んでるけど。
本社まで来るひとは、実はイベントでもないと多くないのか、エントランスはわりと閑散としていた。
高速エレベーター(これもエルフの技術が使われてるはず)に乗って、ほとんど移動感を感じさせないまま、10Fに到着。
案内指示(歩いて行くと、次々、行き先を示す矢印が光る。地味に凄い。)に従って、応接ルームへと僕は歩いて行った。
音もなく応接ルームのドアが自動で開いて、中に入る。
担当の方はまだ来てないみたいだった。
初めて来た巨大企業の応接ルームは、それでもグレードがあるのか、わりとフツーだった。
なんか凄い高級なのを期待してたんだけどな、僕的に。
とはいえ、シンプルな革張りのソファや、ガラスのテーブル(必要に応じて端末の表示画面になるはず)などは、僕の一ヶ月分の給料では買えないのは想像できるけど。
会議室ではなく応接ルームということもあり、全体に雰囲気は柔らかく、事務的な感じではないのだけれど、逆に僕なんかは落ち着かなかったり。
ほどなく、自ら飲み物をサーブして担当の方が入ってくる。
「ああ、今日は加賀美(かがみ)くんじゃないんだ。」
「加賀美の方は、ちょっと別プロジェクトで手が空かずに。」
名刺を交換する。
この文化も日本だけだっけか。
名刺を見ると、佐々木和義(ささきかずよし)と書かれている。
「多田野くん?珍しい名前だね。多田野命(ただのみこと)くんか。」
僕は、「佐々木」とは、平凡な苗字ですね、とも言うわけには行かず。
曖昧な笑いを顔に。
「別プロジェクト?」
佐々木さんが疑問顔。
「えっと、御社発注の街頭カメラシステムのアップデートで。」
「あ、アレ…、あれ?でもアレは、問題が起きて延期になったんじゃ…。」
佐々木さんは、手元に携帯端末を取り出してスケジュールの確認をしてた。
「ああ、やっぱり延期になってるな。スケジュールの通知は…、行ってないみたいだねぇ。」
満面の笑みで佐々木さん。
いや、そういうことは僕に言われても。
というか、先輩たちの努力って一体…。
佐々木さんは、手元のテーブルを軽くタップ。お、電話みたいな表示になった。
どこかに電話をかけてる。あ、うちの会社だ。
「えっと、非常に残念なお知らせなんですが、例の案件は~」
電話を受けた担当者の背後で先輩の雄叫びが聞こえた。
先輩、3徹目だっけか、そういや。
電話で説明している佐々木さん。どうも今回のアップデートでは、非常に規模が大きいため、検証にも時間が掛かっており、我が社担当分以外にも大幅な遅れが出ているため、全体スケジュールの見直しが行われたようで。
…あのシステムって、政府にも関わってると思うんだけど。
E.L.F一社で、スケジュール設定出来ちゃうんだなぁ。
改めて、E.L.Fの影響力というのを体感してみたり。
というか、うちの担当誰だよ。こんなスケジュール変更、知らないとか。
…今までもそんなのあったんじゃないだろうな、などと過去の作業に思いを馳せる。
「いやぁ、不幸な行き違いがあったものだね?」
笑顔の佐々木さん。
いや、そんないい笑顔を向けられても。
「お詫びに、次の発注のときには、今回の分、色をつけさせてもらうことにするから、そのように御社の社長にお伝え願えるかな?」
「あ、はい。ありがとうございます。」
僕は頭を下げる。
まあ、僕が社長に直接伝えることはないとは思うんだけど。
「で、納品書だったね。」
促されて、納品書と記録メディアを取り出す。
佐々木さんが納品書に目を通してサインをしている間、僕は佐々木さんの名刺を見ていた。
ふと気がついたことがある。
「あの、こちらの会社のマークって。」
「ん?ああ、エルフの横顔をモチーフにデザインされたものだね。君くらいに若いと知らないかもしれないけど、世界で最初にエルフから技術供与を受けた組織が我が社の前身でね?その後もいろいろと彼らとのつながりがあって、現在の会社になってるんだよ。」
「え、じゃあ、僕、今まで御社のこと、いーえるえふ、って読んでたんですけど…」
「あ、まあ、それで社名は正しいね。でも別に何かの略称とかじゃないんだ。本当はエルフ、としたかったらしいね?」
いや、疑問形で問われても。
「じゃあ、今でもエルフは御社に?」
「…さて?つながりはないってことはないんだろうけども。いま、僕が担当しているような、ガードロボットに関しては、新たな技術供与は不要なくらいに発展しているし、その他の部門もどうかな。彼らは地球人の政治にかかわらないことは知られているけど、実は経済活動にもほとんど関わらないんだよね。行うのは、要請されれば、技術供与、そして地球環境の維持だけだろうね、今となっては。」
「じゃあ、佐々木さんはエルフに会ったことは…」
「世界樹に行ったことがあるから、そこで見かけたくらいだね?特に親しくしているエルフがいるわけではないし、社内では見かけないなぁ。」
E.L.Fの出自を聞いて、ちょっとだけ期待したけど、そういうことらしい。
来るときに見かけたエルフが本物だったのかな、なんてことも思ったんだけど、特にこのビルに出入りしているエルフがいるわけでも無さそうな気配。
「…そうなんですか。」
「ん?残念そうな顔だね?エルフ族のファン?」
にこやかに佐々木さん。
「い、いえ、ファンというほどではありませんけど。会ったことがないので、興味はありますね。ガードロボットの母体を持ってた種族でもあるわけで、エルフの技術者に会ってみたい、という気持ちはあります。」
僕の答えに、いっそう笑みを強くする佐々木さん。
「そうだねぇ。会えるものなら、僕も会ってみたいよ、エルフの技術者にはね。」
なぜか意味深な表情にも見えたけど、納品書の束を渡されて、雑談はそこでおしまいになった。
応接ルームの扉を開けて、佐々木さんに一礼して、エレベーターホールへ向かう。
途中までは、佐々木さんも一緒だった。
別れ際に、佐々木さんが一言。
「…ウチが最近、エルフに関して何やらやってるらしい、って噂は社内で聞かないでもないけどね。何をやってるのか、なんて、末端の僕にはさっぱりさ。」
やっぱり意味深なことを。
何かあるのかなぁ。
E.L.F本社ビルを出た直後、どかーんという轟音が響いた。
えっ!?と思って振り返ると、今出てきたばかりのE.L.Fビルのてっぺんから煙というか粉塵というか、そんなものが見える。
周りは、みな固まってしまって、異様な静けさが包まれていた。
見上げてたら、なんか破片のようなものが落ちてくる!?
僕は慌ててビルに戻った。落下物を避けるために。下手に外に逃げて、落ちてきた何かが直撃とかシャレにならないし。
そして、1Fフロアでは困惑した表情の人たち。
受付の美人のおねーさんもおろおろとしている。
何があったの?
エントランスをぐるりと見回すけど、みな、その場で困惑した顔で立ち尽くしている。
警備のひとっぽいのも、トランシーバーらしきものに向かって何か怒鳴ってるだけで、どうやら誰も事態をきちんと把握できてないみたいだ。
不意に。
…誰かが呼んでる?
反射的に、非常階段の表示のドアに飛び込む。
普段なら、こんなところにも警備員の目が光っていて、入れるはずもないけど、いまは爆発?の混乱で、僕を見咎めるものは誰もいなかった。
僕は何をしているのだろう?
興味?好奇心?それともー…。
なにかよく解らないものに惹かれて、僕は階段を駆け上がる。
誰かが、最上階で僕を呼んでる、気がする。
…それだけで階段ダッシュするようなキャラだったかな、僕…。
とは言っても、60Fもの階段。
全力ダッシュなんていつまでも続くはずもない。
でも、最上階まで行かないと、そんな思いに突き動かされて、はぁはぁ言いながら僕は階段を上って行く。
不思議だったのは、非常階段で誰ともすれ違わなかったこと。
普通に考えれば、あれが爆発だとすれば、エレベーターは動いてないだろうし、ビルから逃げ出す人たちで埋まっていてもおかしくない。
でも、どの階の非常階段の扉も固く閉ざされてて、開いてるところは一階もなかった。
息切れしながら最上階にたどり着く。
そして、そこだけ他の階と違っていた。
非常階段の扉が弾け飛んでいたんだ。
その有様を見て、こりゃあ、まずいところに踏み込んだかな?と一瞬考える。
でも。
呼ばれている。助けに行かないと。
誰を?という疑問はあったけど、呼んでいるひとがいるんだから、行かなくちゃならない。
きっと、助けないとならないのは、その、僕を呼んでいる誰かだ。
弾け飛んだドアは、非常階段側に倒れてる。
やっぱり最上階で何かがあったのだと僕は悟る。
そして迷わず最上階に飛び込むと。
「あー今日も快晴だねぇ。」
思わずつぶやいてしまった。
そう。空が見える。
天井がなくなって、綺麗な青空が広がってた。
つまり、天井が崩落してるわけだ。
足元にはコンクリートの塊が散乱している。
やっぱり爆発なんだろうな、と思うけど、どこからも火の手は上がっていなかった。
煙に見えたのは、崩落の際の粉塵だったらしい。
そのコンクリートの塊を踏み越えて、僕は走る。
ここじゃない。
何かがそう告げている。
僕の目指した終点はここじゃないんだ。
走る、走る。
僕は走ることなんて好きじゃないのに。
何かに突き動かされるように走る。
いや、実際、何かに突き動かされていたんだと思うんだよ。
そして僕は見つけた。
それは少女だった。
小柄な少女。
崩落した天井に、どうやら服の裾が挟まっているみたいだった。
一生懸命引っ張ってるけど、かなりがっちり挟まれているのか、全然外れる気配はない。
最近の布は、そう簡単に破れない。
これもエルフの技術が入ったものだから。
僕は少女に駆け寄った。
「大丈夫?」
と声を掛ける。一瞬怯えた表情を見せる彼女は、でも小さく頷いた。
身体に怪我はないみたいだ。
だったら、はやいとこ避難しないとならない。
僕はカバンからカッターナイフを取り出す。
挟まった布を切り裂くために。
引っ張っても破れない最近の布は、実は刃物では簡単に裂くことができる。
理屈は知らないけどね。そうじゃないと加工の時に困るでしょ。
僕は、彼女の服の裾を、一息にカッターで引き裂いた。
急に自由になって少女は尻餅を着いた。
苦笑しながら手を差し伸べる僕。
おずおずと、少女は僕の手を取った。
引っ張って立たせる。
軽い。
僕は、彼女の手を握って確信する。呼んでいたのは彼女だ。僕は、彼女を助けるために、ここまで来たんだ。
「逃げないと!」
少女の声。
そうだ。逃げないと。
見れば、崩落は結構な範囲に及んでいる。
あれ?なんでこの子は無事だったんだ?
見れば、少女の周囲だけ、まあるく瓦礫がない。
うまいこと崩落のポケットに救われたんだろうか。
でも、そんなことを呑気に調べてる場合じゃない。
二次崩落があるかも知れないし、急いでここを離れた方がいい。
「大丈夫?」
その子に声を掛ける。小さな頷きを確認し、手を引きながら非常階段へ。
最初の爆発以降は大きな音もない。
実はもう大丈夫なのかも知れない。でも逃げないと。
途中、他の階の非常階段の扉を開こうとしてみた。
あれ以降爆発がないなら、エレベーターが使えるかも知れないと思ったからだけど、なんと非常階段の扉がロックされていて開かなかった。
そりゃあ非常階段へ逃げるひとがいなかったわけだ。
でも、非常時に使えない非常階段って変じゃないか?
どんなポリシーで運用されてるビルなのかは知らないけど。
平時なら解らないでもないけどさ。企業機密なんてのも、さっきの佐々木さんの話から察するにたくさんありそうな会社だし。
「急がないと。」
小さな声で少女が呟く。
うん、そうだね、急がないと。
とにかく、この場を急いで離れないとならない。少女がそう望んでいる。
そして、僕には、それを助けるだけの体力は…。まあ、まだなんとかなるはず。
実際のところは、60F一気上りとかで、もう体力的には限界なんだけど。
でも走れる。
少女を半ば抱えるように階段を駆け下る僕。
これが火事場の馬鹿力?
小柄って言っても40kgはありそうな物体を抱えて走れるほど体育会系ではなかったはずなんだけどな。
ようやく1Fに到着。
1Fロビーに出ると、もう混乱は収まっていて、ほとんど人気はなかった。
みんな避難したんだろうな。
警備員のひとたちが数名、フロアを点検するように見回っている。
そのひとりと目が合った。
「君?その子供はどうしたのかね?」
どうもこうも御社内でトラブルにー…。
「ごめん、なさい、逃げて…。」
少女の囁き。
「え?」
「逃げて…!」
訝しげな警備員と少女を交互に見ながら僕は…。
「すいませんっ!」
警備員に一言放り投げて、少女の手を引き正面玄関に走る。
「あ!君!待ちなさい!!」
ひとは逃げられたら追う習性があるのかも知れない。
いや警備員だし、なんか怪しげな人物を見かけたら見咎めるのは当然なのかも知れないんだけど。
あと少しで捕まりそうなタイミングで警備員のトランシーバーと思しき物体が呼び出し音を鳴らす。
警備員は若干の逡巡の後、立ち止まった。
僕たちは、その隙を逃さず、正面玄関を突破。
広いエントランスが幸いしたのか、他の警備員のひとには、このちょっとした騒ぎは気付かれなかったらしい。
もうさっきから走ってばかりで、いい加減、僕の体力は底をつきそうだったんだけどね。
女性物の下着を手に僕は考える。
なんだって僕はこんなことをしてるんだっけ?
さっきから店員さんの視線が痛いんだけど。
30分ほど前のことを思い出す。
僕がE.L.Fビルから逃げ出したあとのことだった。
ビルから助けだした少女は、僕の手をしっかり握って離さない。
改めて少女を見てみると。
「…エルフ?」
「…はい。」
小さな声ではあったが即答だった。
えー?エルフはE.L.Fにはいないんじゃなかったの?
「………」
「………」
微妙な沈黙。
ふと視線を感じて周りを見渡すと、なんか僕たち、すごく目立ってる。
…そりゃそうか。
このエルフの女の子の格好も問題あるんだよな、きっと。
ベージュの貫頭衣。
なんか病院から逃げて来ました的な。
しかも、緩いウェーブの金髪。
ダメ押しにエルフ丸出しの耳。
金色の瞳ってのはエルフじゃ珍しくないのか?
よく見れば裸足だし。このまま歩いてたら、足を傷めそう。いままで気が付かなかったのも問題だけど。怪我はないみたいで、そこんところはなにより。
そんな姿の美少女エルフが、スーツ姿のサラリーマンに手を引かれてる状況ってのは、ちょっと僕にもまっとうな理由が思いつかない。
きっと周りもそうなんだろう。
だから、すごく目立ってる。
っていうか。
勢いで逃げてきちゃったけど、これ大丈夫なの?
ちらりとエルフ少女を見る。
…その見上げるうるうるした瞳は反則だろう…。
ポケットの携帯端末を取り出すと、地図を見た。
近くに公園がある。結構な距離を走ってきてしまったのだろう。思ったよりもE.L.Fのビルからは離れてるみたいだ。
一旦、そこに避難することにして。
そこで事情を聞いて、問題を整理しよう。
なんか僕の手にあまる問題な気がする。
公園について、自動販売機(出入り口に設置されていた)で飲み物を買って、さてベンチにでも座ろうと思った時に、突風が吹いた。いわゆるビル風ってやつだね。
ビルに囲まれた公園だし、出入り口近くなのも災いした。
エルフ少女の貫頭衣が腰近くまで捲れ上がってー…。
…履いてないのはマズイだろ、いろいろと。
この分じゃ、この子は、本当にこれ一枚しか着てないのかも知れない。
万が一、警察にでも職務質問されたら、変質者確定な気がする。
これはマズイ、さすがにマズイ。なんともマズイ。
「?」
不思議そうに頭を抱える僕を見下ろす彼女。
そう、僕は頭を抱えてうずくまっていた。
とはいえ、このまま状況を放置しても、何も改善しない。
まずは行動が必要なはず。
っていうか、僕はこういう場合に即行動できるような行動派じゃないんだけど、本当は。
でも変質者として捕まるのは勘弁願いたい。
「…あの…。」
エルフ少女が不安そうに僕を見つめる。
いや、だから反則表情はツライ。そんな上目遣いで、うるうるした瞳で見られたら、なにも言えないじゃないか…。
でも、どうにか気を取り直して。
「えっとね、君が誰で今がどうとか、いろいろと問題があるんだけど、まず最初に、君の格好をどうにかしないとマズイと思うんだ。」
僕の言葉に不思議そうに自分の姿を見る少女。
…かわいい…。
いや、そうじゃなく。
このままでは僕の社会的立場的にマズイ。
「わたしのこの姿、問題?」
「着てるものがね。」
小さく吐息の少女。自分がエルフであることが問題なのか、という問いだったみたいだ。
「それで、ちょっと着るものを調達して来るから、ここで待っていて貰えないかな?」
できるだけ優しく言ったつもりだったんだけど。
「いや!」
強い反発の声。
「ひとりじゃ、きっと捕まっちゃう…。」
E.L.Fとの関係がどんなものだったのかは解らないけど、この子はどうにかして逃げたいらしい。
その行き先も見当がつかないんだけど。
とはいえ、この子を連れて買い物ってのもちょっとどうかと思う。
妙案はないかとぐるりと公園を見回すと。
トイレがあった。ピンと閃くものがある。
「逃げるにしてもね、今のままじゃ目立ちすぎて困ると思うんだよ。だから着るものはどうにかしないといけない。
でも、その間、ここで待ってるのが怖いなら、あそこに隠れていよう。」
トイレの個室なら、街頭カメラだって設置されてない。
なにより、彼女をこんな目立つ場所に放置しないで済むのはありがたい。
少女に携帯端末を渡す。これは自分の個人持ち。会社からも携帯端末を渡されてるから、こんな場合には都合がいい。
「僕が戻ってきたら、この端末を鳴らすから、そしたら一度出てきて欲しい。それまでは鍵を掛けて、何があっても外に出ないようにね?これなら大丈夫じゃないかな。」
目線の高さを合わせて、なるべく優しく言い聞かせる。
エルフ少女の不安げな瞳の色はまだ消えない。
それでも、逡巡しながら僕の目を見て、言った。
「必ず、戻って、来てね?」
少し眉尻が下がった困り顔。涙こそこぼれてないものの、潤んだ瞳。
ずぎゅーん、という音が聞こえた気がした。
僕の中の何かが射抜かれたんじゃないの?これ。
「うん、大丈夫。すぐに戻って来るから。」
どうにか微笑みを作り出して彼女に向ける。
エルフ少女は、何度も僕を振り返りながら、トイレの個室に身を隠したのだった。
走り詰めで、まだ体力的には回復してないけど、さっき買ったスポーツドリンクを一気に飲み干すと、僕は近くのショッピングモールへ向かう。
時間が早いこともあって、混雑はない。
キョロキョロと辺りを見回し、女の子向けのショップに当たりを付けて飛び込んだ。
でも、何を買ったらいいのか、正直解らない。
それで、彼女に背格好が似てるマネキンを指差して、店員さんに告げた。
「あの、マネキンの着てるの、一式下さい。」
ライムグリーンのワンピース。今の季節なら、別に違和感はないだろう。
それにしても。
はぁ、はぁ、と息を荒げるサラリーマンが、少女向けの服を買う。
どんなシチェーションだ。
しかし、さすが相手もプロ。そんなことでは動揺してないらしい。
「…贈り物ですね?」
と、マネキンから服を脱がし始める。
その様子を見て、気がついた。
…履いてない。
マネキンも下着は付けてなかった。
そりゃそうか。
靴というか、サンダルを履いてるところまでは確認したんだけどな。
「あ、あのっ!」
「は、はいっ!」
「下着、下着はどこに…?」
「え?下着、ですか。」
ここへ来て、急に訝しげな顔になる店員さん。
でも、彼女はプロだった。
「下着なら向こうのコーナーに。」
にっこりと微笑む。
そうして、僕は下着を握り締めることになるのだった。
あのひとはどうして助けてくれたんだろう…。
少女は考える。
確かに自分一人では、あの状況から逃げることも出来なかったし、これからどうするべきかも解っていない。
突然の爆発で、「部屋」の扉が吹き飛んだ。
本当なら、そのままじっとしてるのが良かったのかもしれない。
きっと誰かが来てくれたと思うし。
誰か。
いつも自分を機械に繋いで、何かをする人たち…。
機械に繋がれてる間の記憶はない。
自由に部屋から出ることは許されなかったし、話し相手がいるでもなかった。
食事をし、機械に繋がれ、決まった運動をして、ただ寝るだけの日々。
逃げ出したい、と思ったことは、それでも一度もなかった。
どうして逃げたりしたんだろう。
逃げたりしなければ、天井の崩落に巻き込まれることもなかったのに。
そう。自分は天井の崩落に巻き込まれたのだ。
でも、自分に瓦礫が当たることはなかった。
まるで瓦礫が当たる寸前に塵になったように。
そしてあのひとが来てくれた。
初めて見る、機械に繋ぐ以外のひと。
優しそうな瞳をしていた。
機械に繋ぐひとたちも優しかったけど、瞳の色は冷たかった。
エルフ試験体零式。
それが自分に与えられた呼び名だった。
零式ともレイさんとも呼ばれていた。
だからそれが自分の名前なのだろう。
そして、あのひとから渡された機械が呼び出しを告げる音を鳴らした。
一度、エルフ少女を携帯端末で呼び出して、買ってきた服を渡した。
それに着替えるようにお願いして、数分後、彼女は出てきた。
いいかげんに買ってきたわりには、サイズに問題はなさそうだった。
サンダルは…。
今後を考えると靴に買い換えた方がいいかも知れないけど、今は問題ない。
サイズを調整出来るから、ちょっと走ったくらいなら脱げちゃうようなことはないと思う。
しかし。
さすがに、マネキンからひっぺがして来ただけのことある。金髪美少女の出来上がりだ。
「うわぁ、いや、これは。」
わけの解らない呟きがもれる。
年の頃は、地球人に換算してみると、15、6歳くらいだろうか。
エルフ族は華奢な身体つきをしているらしいから、案外もう少し歳は上かも知れない。
でも、話し方とか、もっと幼い感じもあるし。正直エルフの年齢なんか解らない。
それにしても。
なんというか、先ほどまでは、奇異の目で見られていたけど、今度は違う意味で注目を集めてしまうかもしれない。
一応、店内では地味目の服を選んだつもり&僕の予算でも買えるものだったんだけど。
「…あの…。」
トイレの前で、着替えた彼女を見つめている僕に、彼女は心配そうな声をかけてきた。
もじもじしていたのは、じっと見つめられていたのが恥ずかしかったからだろうね。
「あ、ご、ごめん。」
もう一度、公園のベンチへ向かう。
二人並んで座ったまま、とりあえず状況を整理しようと僕は思ったんだけど。
「あの、君、名前は。僕は多田野。多田野命なんだけどね。タダノでもミコトでも、どちらで呼んでくれてもいいよ。」
「…レイ…。」
「レイ?それが君の名前?」
「…たぶん。」
レイちゃんかー。エルフの名前なんて全然馴染みがないから、それが普通の名前なのか変わった名前なのかもわからないけど。まあ、佐々木です、とか言われたら驚いたかもしれないなー。
それはそれとして。
「レイ、ちゃん、でいいかな?それでレイちゃんはエルフなんだよね?」
「…あ、あの。たぶ、ん…。」
「E.L.Fの関係者?」
「?」
問いに不思議そうに首を傾げる。服が可愛いものに変わって、全体の可愛さ3割増しで僕の脳天を撃ちぬいた。
持ち直すまでに3秒。
「…じゃ、じゃあさ、逃げるっていうのは、どこへ?」
「あ、あの…」
続く言葉を待つ。
「わからない、の。」
え?
「ただ、あの時は逃げないと、って思って。でも、これからどうすればいいのか、全然わからない、の。」
えー…。
これは困った。
素直にE.L.Fに送り届けた方がいいんだろうか。
そういや、さっきから遠くでサイレンの音が響いてるな。消防?救急?
どっちかはわからないけど、あの爆発のせいなんだろうなぁ。
聞こえてるのE.L.Fビルの方角だし。
というか、初動が随分遅かったような気がするけど。
現場まで15分で急行というのが基本だったような。
それとも、あれだけの爆発事故でビルから通報が行かなかった?
外部からの通報で駆けつけたんだろうか。それならわからないでもないかなぁ。
と、ちょっと現実逃避的な思考を巡らせて。
「じゃあ、レイちゃん、あのビルに戻った方がいい?」
「ダメッ!」
強く否定された。
正直、僕は事なかれ主義だし、何事にも流されやすい性質で、今も勢いでこんな状態になってる感は否めない。
納品も終わったし、こんなトラブルなんて、さっさと決着をつけて、普通の日常生活に戻りたいのが本音だった。
でもなぁ。
目の前の美少女を放置して行けるほど人非人でもなくて。
お人好し?
まあ、そうかもしれない。
彼女の衣装に掛かったお金って…。
まあ、それは考えないことにしよう。うん。自分が変質者にならないためにやったことだしね。
と、思考は現実逃避的な流れにはまり込もうとする。
すると。
目の前を一台のガードロボットが通り過ぎて行った。
ちょっと引っかかるものがある。
ガードロボットはE.L.F社がメインで扱ってるけど、OEM製品も幾つかあり、ビル内の警備に使われてたりする。OEM品は、カスタマイズされてたりすることも多い。警備の場所によって、事情やら都合やらが絡んでくるのはよくある話で、それを全部E.L.Fで面倒を見ていたら大変、というのもあるんだろう。
そういう警備会社持ちのガードロボットは、一般公道まで出てくることはなくて、通常市街地の見回りを行ってるのは、E.L.F謹製警視庁所属を示す白黒に塗り分けられ、管轄を示す文字が大々的に記されたガードロボットなんだけど。
逆に言えば、警察のガードロボットは、会社などの私的な設備の中に入ることは出来ない。
犯罪を発見した場合には、その限りにあらず、なんだけど。
なので、ビルなどで見かけるガードロボットは、たいていは警備会社のロゴ入りだ。
大きなビルだと、フロアごとに一台くらい配置されてる。
まあ、昼間は稼働してないか、または清掃ロボットとして稼働しているかのどちらかで、主に無人となる夜間にガードロボットとしての本領を発揮する。
警備の省力化、ってことだね。
警察のガードロボットは、犯罪を発見すると警察へ通報し、可能なら犯罪者をスタン機能で足止めする、というもので、アイカメラに入る情報は常時警察のサーバにアップロードされている。
まあ、証拠という意味合いもあるし、別の犯罪捜査時の手がかりを探すためでもあるし。
一方警備会社のガードロボットのアイカメラの情報は通常ビルセキュリティシステムの方で管理されていて、そこから外に出ることはない。とはいえ、こちらも不審者を発見した場合などは、ビル内の警備員に即座に連絡が行く。警察に通報するかどうかは、その後の警備員の判断に任されてるわけだ。
という、僕のガードロボットに対する知識を元に判断すると、今通り過ぎて行ったガードロボットには妙なことがある。
全体が銀色の円筒形。所属を示すロゴマークが印刷されてない。
なんだかなー。
どっかで見たような気がするんだけど。
「ああ、E.L.Fのビル内で見たんだ。」
そう。今日の納品の時、ビルの10Fで見かけたガードロボットには、企業のロゴもイメージカラーも何もなかった。
銀色の円筒形。全体が絶縁体でもある透明な樹脂で覆われている。案外、それがE.L.F純正の正しい姿なのかもしれないけど。
そこから出荷されて塗装されてるのかもしれないし。
ちなみに。
今いる公園からE.L.F本社ビルまで、直線距離で約2km。
普通に考えたら、E.L.F社を警備しているガードロボットがここまで来ることはない。
なんかイヤな予感がするなー。
通り過ぎたはずのガードロボットが、一旦停止。
ぐるりと回転して、目が合った、気がした。
上部にあるLEDの点滅。
あー、あれは知ってる。
現在のアイカメラの映像とサーバ内の情報の照合時の動作だ。
テストで何回も見たしなー。
視界内にもう一台、銀色のガードロボットの姿が入ってくる。
そしてもう一台。
新たに現れたガードロボットは、全速走行の30km/hだ。
仕様上は60km/hまでは出せるんだけど、バッテリー消費、および万一ひとにぶつかった時の事故の損害などを考慮して、通常の最高速度は30km/hに設定されてる、って話はどうでもいいとして、あの速度で向かって来るってことは、こっちを不審者としてロックオンしたってことっ!?
「に、逃げよう!」
レイちゃんの手を掴んで走りだす僕。
とは言っても、ガードロボットの速度は、普通にひとが走るそれよりも速い。
そうじゃないと逃走する不審者、犯罪者を捉えられないからだけど、それは平坦な道での話。
ひとは逃走する際には、走りやすい道を選ぶらしい。
なので、ガードロボットの速度でも十分なんだけど、ちょっと頭を使えば、平坦じゃないところ、つまり走りにくいところを通れば、追いつかれないことに気がつく。
だから、ガードロボットは、単体で目標を追うことはなくて、近隣のガードロボットに連絡を取り、包囲網を形成する。
でも、僕らを包囲しようとしているのは幸い3体。
そして、まだ包囲されてない。
今なら、回避は可能なはず。
ガードロボットの包囲ロジックを思い浮かべる。E.L.F社のガードロボットなら、今日、僕が納品したロジックが使われてるはずだよね。
そう。
今回の納品はガードロボットのシステム更新だったんだよね。
なので、テストのためのシミュレータで、ガードロボットの包囲ロジックは何度も繰り返し実行した。
これはテストパターン674!
うん、番号はデタラメ。
公園なので、ベンチを越えて、芝生のエリアに入れば、ガードロボットの速度は落ちるはず。
基本、舗装路とかオフィスの平らな床を想定されているからね。
平坦じゃない芝生の上をタイヤで走る場合には、自分が転倒しないよう、それなりの制御が入る。もちろん、そのために速度を落とす必要もあるわけで。
でも、ノーマルモードの時速6km/hなんて速度まで落ちるわけじゃない。
うわ、意外に実物速いな!
シミュレータで確認したときは解らなかったけど。
ガードロボットの頭部というか上部が少し持ち上がって、高さ3cmほどの隙間が開くと、そこから輪っかが生えてくる。
あれがスタン機能。スタンサークルと呼ばれる、全体を一周する金属の輪っか。
対象に接触して電撃するというものだ。
以前にアレを食らった先輩に聞いたところ、「一気に酔いが覚めた」とのことなので、かなり痛いんだろうな。
もちろん、テストで電撃食らうまではやってない。
公園の芝生には、時々、木も植えられていて、そこをうまく使って距離を取る。
直線上に障害物があると、ガードロボットが一瞬「迷う」んだよね、仕組み上。
まあ、ひとだって迷うけど、ガードロボットのように安全面と逃走経路の再計算みたいな処理がない分、ラグは少ない。
いや、逃げる方はそれなりに必死だから、危険性とかある意味無視して逃げるわけだけど。
そして、これがトドメ。
公園外周の植え込みの隙間を強引に通り抜ける。レイちゃんは抱き上げた。いやぁ、人間必死になると力が出るもんだねぇ。
ちょっと痛かったけど、公園の出入り口からは一番距離があるところを無理矢理通り抜けた。何本か植え込みの枝を折っちゃったかも。
これはガードロボットには出来ない。
公共物を破損する恐れのある行動はガードロボットには制限が掛かる。
もちろん、モード解除も可能だけど、通常なら、植え込みを強引に抜けるなんてロジックは走らない。
だから、僕等を追って来るなら、ぐるりと迂回して、公園の出入り口に向かわないとならない。
そして僕とレイちゃんは、一度ガードロボットを撒いたのだった。
「ははは。まいったね。」
佐々木は愉快そうに笑った。
E.L.Fビルの最上階。
特別な部屋に彼はいた。
彼の仕事でもあり、興味の対象であったものが収まっていた部屋。
表向きの仕事ではない。表向きには、佐々木はガードロボットおよび街頭カメラネットワーク開発の管理者のひとりだった。
佐々木の本当の仕事が、ここにはあったのだ。
「『声(ヴォイス)』は使えないはずだけど、どうしてこんなことになったのか。」
崩れるところは、すでに崩れきったのか、不安そうな様子を見せるでもなく、佐々木は周辺を見回す。
消防も救急も、そして警察にも実験中の事故によるビル爆発ということで話を通してある。
警察も消防も現場検証を、としつこかったが、そちらは「上」に手を回してお引取り願った。
ここの設備を見せられるはずもない。
何をしていたのかを問われても答えられるはずもない。
公には出来ないことをしていたのだから。
本来ならば。
地下に施設を作るべきだった。
佐々木の個人的な見解だ。
公に出来ない研究は地下で秘密裏に行うべきだろう。
地下研究所というのは、憧れでもある。
「ま、僕はマッドサイエンティストではないけれども。」
機材は替えが効く。ここならば、明日にでも調達できるはずだ。
しかし。
肝心の対象がいない。
さて?
これは問題が大きい。
さきほどひと通り見て回ったところ、衣服の切れ端が瓦礫に挟まっているのを見つけた。
明らかに刃物で切り裂かれていたところを見ると、誰か協力者があったのかも知れない。
「どこからか漏れていたのかねぇ。」
佐々木の呟きは、この場所で行われていたことが、誰かに狙われる可能性があったことを示唆する。
そうであれば。
佐々木は思考する。
この惨状も、アレがいないことも、何者かの手引きによるのかもしれない。
「ははは。困ったことになったねぇ。」
佐々木はそれでも愉快そうだった。
どうしたらいいのだろう。
少女は迷っている。
勢いで逃げ出してしまった。
戻ればいいのかとも思うが、それは心が拒否していた。
理由は解らない。
解らないけどイヤだった。
じゃあ、どうすればいいの?
自問する。
不意に目眩にもにた感覚が少女を襲う。
しかし、それは一瞬のことだった。
機械に「繋がれた」時の感覚に近いものだ。
繋がれた時は、そのまま、「何か」が終わるまで自分の意識が戻ることはなかった。
いつも気がつけば、あの部屋のベッドに寝せられていたのだ。
しかし、今回は意識を失うこともなく、妙な感覚は一瞬で去った。
そして、頭の中に、ひとつの考えが宿っていることが解る。
それが自分のしなければならないこと。
少女は、傍らの青年に向かって言った。
「あの…。」
ガードロボットに不審者認定されてるのって、多分、僕だよね。
ため息一つ。
思い当たる節がないでもない。
E.L.F社から警備員に見咎められたのに、ダッシュで逃げたのだ。
エントランスの警備カメラには僕の姿はきっちり捉えられていただろうし、そこから分析された情報をガードロボットに送信して、捕らえるように指示が出ている可能性が高い。
爆発事故が実は事件だとしたら、僕は容疑者扱いなのかも知れない。
イヤな汗が背中を伝う。
すると、警察のガードロボットが横を通り過ぎた。
えっ、と僕はガードロボットを見送るけど、どうやら反応はなし。
ということは。
まだ、僕は警察には手配されてないってことになる。
そもそもE.L.Fのガードロボットが、あんなところまで出張して来てること自体が異常事態なんだけど。
普通なら、警察に不審者の通報を行なって手配するのが筋だし。
警備会社には、そのための通信網も完備されてるはずで、E.L.Fクラスの会社の警備会社に、その辺不備があるとは考えにくい。
「なんか裏があるのかなぁ。」
正面に座る金髪美少女を見る。
十分異常事態だ。僕的に。
E.L.Fのガードロボットを撒いたあと、僕たちはファストフード店で一息ついていた。
レイちゃんのお腹がきゅるるっと可愛い音をたてたからだけど、僕も喉が乾いていたし。
ついでに言うなら、こういう混雑したお店ではガードロボットの行動に制限が掛かる。
30km/hもの速度で走って、ひとにぶつかったら大変だから。
さらに言えば、周りに人間がたくさんいたほうが、顔の識別のための時間もそれだけ余分に掛かる。
もしもE.L.Fのガードロボットが追いかけて来ても、逃げられる確率が上がるわけだ。
ちなみに。
ここに来るまでに、レイちゃんには帽子を買って、被ってもらった。
エルフ耳を隠すためなんだけど。
…うん、かわいい。
いや、別にレイちゃんのかわいさアップのために帽子を買ったわけではなく。
着替えて貰っても、どうしても目立つ容姿の彼女を少しでも目立たないように、って思ったんだけど。
…金髪美少女ってだけで目立つよなぁ。
今も、周囲のお客さんからチラチラと視線を感じる。
いや、ホント、僕は何をやってるんだろうね。
例えばこの状況が、普通にデートだったら。
なんてことを考える。
金髪美少女エルフとデート。
ファストフード店で食事ってのは、ちょっと貧乏っぽいけど、なんとなくデートな雰囲気はないでもない。
…高校生の頃とかは憧れたよなぁ。
はい。恋人とかいません。いたこともありません。
もぐもぐと小さな口を動かしてハンバーガーを一生懸命食べてるレイちゃんを見る。
微笑ましい光景であるのは間違いない。
だけど。
状況がなぁ。
ここまで来るに至った状況を考えるに、彼女とはごく近い将来別れることになる。
ズキン、と小さく胸が疼いた。
なんだろ、この感覚。
事実を受け止められない?
そうかもしれない。
今の状況を、僕は楽しんでるわけじゃないけど、彼女と一緒の状態を僕は望んでいる。
そりゃあ、こんな綺麗な娘が恋人だったら最高だよね。
種族の差はあるけど。
まだ、どんな娘なのかも解らないけど。
でも、きっと悪い娘じゃない。
いや、かわいいは正義って言うし。
考えながら、じつはじっと彼女を見ていた僕の目と、不意にこちらを向いた彼女の目が合った。
ぼっと、お互いの頬が赤くなる。
僕は見つめていたことが向こうに解って、彼女は恐らくは食べてるところをじっと見られていたのが解って。
純情な反応だなぁ、とは自分でも思うけど。
どちらともなく目を逸らして。
やがて、ハンバーガーを食べ終えた彼女が言った。
「あの…。」
行かなければならないところがある。
そして、そこでやらなければならないことがある。
自分一人では、たぶん、出来ない。
目の前のひとを頼ってもいいのだろうか。
「あの場所」から連れ出してくれたひと。
暖かい大きな手をしたひと。
トクン、と胸の鼓動。
てのひらの暖かさを思い出したからだ。
優しい瞳をした、暖かいてのひらのひと。
このひとなら、「何か」から自分を解き放ってくれるのだろうか。
自分が何に囚われているのかは解らない。
それでも、解き放たれたいという願いはある。
その想いを、目の前のひとに願ってもいいだろうか。
委ねていいだろうか。
トクン、ともう一度。
それは、いいんだよ、と心を後押ししてくれたかのようだった。
「あ、あの…、行かなければならないところが、ある、の…。」
目の前の金髪美少女エルフが言った。
急に。
先程までは、どうすればいいのか解らない、と言っていたのに。
今、急にそれを思い出したかのように。
僕はちょっと考える。
一緒に行った方がいいのだろうか。
なにせ僕はE.L.Fのガードロボットに追われている。
まあ、これは事情を説明すれば解除されるかも知れないけど、それにはE.L.Fまで行かないと多分ダメ。
レイちゃんはE.L.Fには行きたくないと言っていた。
なら、本当はここで別行動するのが正しいのかもしれない。
でも、口から出たのは。
「解った、行こうか。」
完全に同行の申し出。
あれー?
ま、まあ深く考えるのはよそう。
僕はレイちゃんと一緒にいたいんだし、なんというか、どうにも世間知らずっぽい金髪美少女エルフを放置して行けるほど、僕は薄情じゃない、ってことにしておきたい。
自分でも不思議な言動。
ちょっと僕らしくないよね。
でも、結果としてはよい方に転がってる、と思ってるんだけど。
なかなかないよ?金髪美少女エルフと知り合える機会なんて。
わけありじゃなければもっと良かったけど。
「それで、どこに行きたいのかな?」
レイちゃんは、ちょっとうつむいた後、意を決した表情で僕を見つめて、言った。
「えっと、ね。さっきの公園…。」
えー…と内心で僕は思う。
公園でのやり取りを思い出したからだ。
公園では、解らないと言った。
なのに、今は目的地は公園だという。
何があったのか。
そういえば、さっき不意に目が合って、お互い目を逸らした時に、一瞬だけどレイちゃんの気配が変わった気がする。
いや、そんな気配が変わったとかどこかの武闘家みたいな「気を察する」みたいな能力を僕が持ってるはずもなく、雰囲気が変わった気がした、だけの話で。
それもほんの一瞬。
強いて言うなら、「迷いがなくなった」感じ。意志の力を感じた、くらいのところかな。
誰だってあるでしょ、こう、決心した瞬間とか。
なんか目に力が宿ったような感覚。
いまは全然なくて、相変わらず迷いっぱなしの気配だけど。
「そこに、何があるのかな?」
残ったジュースをずずーっと吸いながら僕が尋ねる。
「え、ええと、その…。」
だんだん声が小さくなる。
「わからない、の。」
まあ、そんな気はしていたんだよね。
わからない、けど、何かある。
だからそこに行かなくちゃいけない。
世界は謎に満ちているね。
とにかく、行けば何かわかるんだろう。
そして行かなければなにもわからないんだろう。
気がかりはE.L.Fのガードロボットがまだ巡回してないか、ってことだけど。
強制的にエリア探索指定がされていないなら、逃走経路の再計算をして、僕を追ってるはずだから、いつまでもあの公園に留まってるとも思えない。
他に気がかりと言えば、ガードロボットが3台だけじゃなかったら、という可能性。
E.L.Fには、自社の警備以外にも、テストのためや出荷のためのガードロボットがあるに違いない。
少なく見積もっても150台ほどガードロボットがあると思われる。
まさか、全部が不審者探索に出てるとも思えないけど。
それと、いつまで自社のガードロボットを外に出しているか、ってこと。
特定の会社のガードロボットが公共施設まで出てくることは、本来は警察の許可が必要だし、そもそもいい顔をされない。
例えば、公園の野外ステージのライブとか、そういうイベントだと私設ガードロボットが配置されることもあるけど、それ以外では基本警察にお任せ下さい、というスタンスだ。
不審者をなんらかの犯罪に関与したとして通報せよ、ということ。
そうなると街頭カメラを含めたネットワークが有効に活用できる。
そっちの方が圧倒的に効率的だし、安全だ。
それをしない理由がE.L.Fにはある?
…そう考えた方がいいかもね。
これだけの異常事態だしー。
そうなると、ちょっとこちらも準備が必要かな。
「よし解った。じゃあ公園に行こうか?でも、その前にちょっと立ち寄りたいところがあるんだけどいいよね?」
レイちゃんは小さく頷いた。
「警備部が動いてるか。でも初動が遅いね。」
手元の携帯端末を確認しながら佐々木が呟く。
幾つかのメールを確認する。
「おや?多田野君。彼が関係しているのか?」
爆発「事故」の後、ビルから退出した際の行動が不審だったものとして、ビル内のセキュリティカメラと警備員の証言から、多田野君が不審者として登録されている。
すでにガードロボット30台が多田野君を追って放たれた、か。
警察に通報しなかったのは賢明な判断だ。佐々木は思う。
その程度のことは警備部も知っている、ということではあるが。
ただ、何をしているのか、までは知りはすまい。
多田野命と名乗った青年を思う。
「裏のある子には見えなかったんだけどね。」
佐々木はまだ最上階にいた。
「ガードロボットの件、警察にはどう説明するつもりなのかな、警備部は。」
口元の笑みを隠さず、独り言は続く。
「それにしても。
…彼がこの爆発の手引をしたとは思えないね。」
そもそも爆発が起きたのは、彼と別れたすぐ後のことだ。
事前に仕込みを入れていない限り、彼が爆発を引き起こしたと考えるのは不自然だろう。
改めて携帯端末を操作してエントランスのカメラの録画を見る。
「ほら、彼は一度ビルを出ている。これは爆発の直前。そして爆発後に戻ってきた。」
これはどう考えるべきなんだろうね?
ははぁ。佐々木が得心したような笑みを見せる。
「『魅了(チャーム)』か。」
うんうん、と頷く佐々木。
「『声(ヴォイス)』も使えなかったはずだし、『魅了(チャーム)』なんてなおさら…。」
そこまで言って、佐々木の表情が急に改まる。
「ない…。そうか、爆発の理由はこれか。解放したんだな。」
多少の不自然さは感じないでもない。それほどの危険物だったとは思ってなかったがー…。
だがしかし、と佐々木は思う。
「それならば、この事態も納得できる。だが、恐らくはまだ自由に発動できるわけではないだろう。」
携帯端末を操作する。
「警備部に任せておいては間に合わないかもしれないな。」
そして楽しそうに佐々木は笑う。
僕たちは公園をうろうろしていた。
幸いE.L.Fのガードロボットはいない。
ときたま警察のガードロボットが巡回で通り過ぎていく。
そのたびに内心僕はひやっとするんだけど、幸いまだ容疑者扱いはされてないらしい。
とはいえ、いつまでその状態なのかは解らない。
はやいとこ問題を解決して、E.L.Fまで行って事情を説明しないとならないかも。
これが原因で取引停止とかになったらアレだよなぁ。
実に我が社の受注の7割がE.L.Fからの仕事なのだ。
もちろん、この街にはそんな会社は少なくない。
言ってしまえば、この街はE.L.Fの街なのである。
18年前に、E.L.Fが本社ビルをこの街に移設し、それに群がるように周囲にビルが建ち、交通インフラが整備され、周辺に住宅街が出来て…急速に発展したんだよね。
「世界樹」までの直線距離が一番近い場所に作られた街という話もある。
10年前に、世界樹への直通の列車がE.L.Fによって作られた。
それまでは船か飛行機でしか行けなかった「世界樹」への道がより広く開かれた。
郊外には空港もある。
これもE.L.Fが主に使用している空港だ。
今は、「世界樹」ツアーのためのあちこちからの飛行機が離着陸している。
まあ、世界樹は日本の「排他的経済水域」にあるので、他国から船で入る分には問題はない。
実は、「世界樹」には立派な空港もある。なので、わざわざこの街から「世界樹」に行く必要はないのだけれど、超高速列車というのは案外に人気があるようで、国内からはもちろん、海外からもこの街を経由して「世界樹」へ行く観光客は少なくない。
駅の近くには、観光客を当て込んだ巨大ショッピングモールもあるくらいだ。
…だから、実は「世界樹」行きの駅の方に行けば、金髪碧眼の娘なんて、実はそんなに珍しくないんだよね。
こっちのオフィス街だからすごく目立っただけで。
…いや、でもここまでの金髪美少女はさすがに駅方面でもなかなかいないし、結局どこに行っても目立ったかもしれないねー…。
てなことをぼんやり考えながら、公園を手を繋いでぶらぶら。
彼女の方から繋いできた手を、僕は払う理由がなかった。
…特に意味はないんだろうけどね、彼女にしてみれば。
でも、デートっぽいよねぇ。
公園でお手々繋いでぶらぶら。
もうデートの定番じゃないですか、やだー。
…ひたるのも大概にしないと。
ぴた、と彼女が足を止める。
公園の噴水の前だ。
噴水は女神像が頭上に抱える水瓶から水が噴き出す仕組みになってるらしい。
「たぶん、ここ。」
「ここに何があるのかな?」
目の前には噴水しかない。別に噴水を見たかったわけではなさそう。
一定時間ごとに大きく水が噴き出す仕組みになってるらしいそれを見て、最初ちょっとびっくりしてたみたいだけどね。
水飛沫が上がって、霧状に辺りを包む。
ちょっと涼しい。
でも、涼みに来たわけでもない、んだと思う。
「わからない、わからないの。でも、場所はここ、だと思う…。」
ぎゅっと小さな手が僕の手を握る。
何かをこらえているのか、それとも、僕に何かを期待しているのか。
うん、期待されてもそんなに大したことは出来ないと思うんだー…。
情けないけどね。
うん?女神像の眉間に何か…。
「ちょっとレイちゃん、いいかな?」
彼女の手を引いて、少し噴水から離れる。
そしてまた近づく。
それを2、3度繰り返した。
うん、間違いない。
「あのね、レイちゃん。あの噴水の女神像の眉間のところなんだけど。」
「う、うん。」
「君が近づくと光る。」
「え?」
僕の言葉に彼女は、女神像を注目する。
ぼんやりと緑色の光が眉間から漏れている。
最初、宝石のようなものでも埋め込まれてるのが光の反射でそう見えるのかと思ったけど、違う。
間違いなく彼女に反応してる。
それを自分でも確認した彼女は、ふらふらと惹かれるように女神像に歩み寄って行ってー…。
噴水の端でコケた。
ばしゃーん!と水飛沫。
ドジっ娘か?実はドジっ娘属性なのか!?
ずぶ濡れになったことで解る、思っていたより豊かなおっぱいのラインと華奢な全身。
こ、これはっ!
貫頭衣のときも、今のワンピースもどちらもゆったりした服だから解からなかったけど、これは意外に…!
…いかん、いかん。取り乱してしまった。
噴水の中、ずぶ濡れになって、涙目の彼女に手を貸して立ち上がらせる。
あー、頭からずぶ濡れだわ。着替えなんてないしなぁ…。
せめてタオルくらいあればよかったけど。せいぜいハンカチくらいしかない。
それはそれとして。
靴と靴下を脱いで、ズボンをまくり上げる。
「近くに寄りたいんだよね?」
頷く彼女を抱きかかえ、女神像に歩み寄る。
今は、噴水の量が少ないからいいけど、これ、時間が来たら僕もずぶ濡れだわ。
その前に、と急ぎ噴水の中を歩いて行って、彼女を促した。
レイちゃんの手が女神像の眉間に触れる。
キンッ!という音が響いた。
そして、それきり光は消えた。
その次の瞬間、手の中の彼女が重みを増した気がした。
手がだらりと下る。
意識を、失っていた。
急に抱き上げられて、ドキドキしたけど、ひとりじゃ手が届かない。
トクン、トクンという胸の鼓動を意識しないようにしながら、緑の光に手を伸ばす。
この光はわたしを呼んでいる。
これがわたしのしなければならないこと?
これがわたしの囚われる原因?
光に触れた途端、あの感覚が襲ってきた。
そう、機械に繋がれた時と同じ、あの感覚。
それと同時に、身体の内側から圧のようなものを感じて。
なにも、解らなくなった。
『枷』が外れた、ひとつ。
だから、あの時、身体を守れた。
そう。天井が崩れて、この身体が下敷きになりそうだった時。
『声(ヴォイス)』の使い方は様々だが、あの時は固有振動数に合わせて、落下物を粉砕した。
『枷』が外れた理由は解らない。
その前後の記憶はない。知っているのは、天井が落下してきた瞬間だ。
身体が危険に晒されたから、反応した。
そして、本能的に庇護を欲した。
だから、『魅了(チャーム)』が発動した。
『魅了(チャーム)』されたのは、地球人の男性。ミコト、と言った。
『枷』が外れたからだろう。
そこから先の記憶はある。
能力の発動は出来ないし、身体は自分の考えでは動かない。
それでも、ある程度の意識の誘導は可能なようだ。
2つ目の『枷』を外すための情報を、伝えることが出来たのだから。
そもそも、この身体は私本来のものではない。
私の身体は失われている。
18年前、永き眠りにあった私の意識は、この身体に移された。
意識だけのまま、世界樹と共に果てるだろうと思っていたが、誰かが余計なことをしたようだ。
私の意識の受け皿となるには、それなりの許容量が必要だ。
そうでなくては身体がもたない。
幾度かの試行で解っていたことだ。
だから、もう身体を作るのはやめようと思っていた。
だが、世界樹から引っ張りだされた。
能力には厳重に封印が課せられた。
身体を壊さないために。
そして2つ目の『枷』が外れた。
この先の『枷』も外すべきか。
判断できる材料は少ない。
今、本来の零式の意識が失われたため、私の意識が表層に現れた。
私は、零式の身体を抱えておろおろするミコトに向けて、言葉を放った。
「私のことはティアと呼んでよい。下々の者には呼ばせぬ名だ。光栄に思うがよい。」
僕の腕の中で意識を失ったはずの彼女は次の瞬間、ぱちりと目を開き、言った。
「私のことはティアと呼んでよい。下々の者には呼ばせぬ名だ。光栄に思うがよい。」
えー…。
「いつまでも水の中にいるものでもなかろう。…どこか休めるところはないのか?私もこの濡れた髪と服を乾かしたい。」
ひらり、と僕の腕の中から降りてしまったレイちゃん、改めティアちゃんは、これまでの態度とは明らかに違う態度でそう言った。
「じゃあ、あっちの方に東屋があったから、そこに。」
僕が言うと、すたすたと指した方角に歩いて行く。
東屋に入ると、彼女は、ぐるりと四方を見回し、人目がないことを確認すると、何事か呟いた。
瞬間、風が吹いた、気がした。
そして彼女を見ると、先程までびしょびしょだった髪も衣服が完全に乾いていてー…。
「『声(ヴォイス)』という。様々な力があるが、今は風の精霊を使役して、着衣を乾かした。ふむ、そなたも少し濡れているようだ。ずぶ濡れの私を抱えたせいか。すまない少し待て。」
もう一度、彼女が呟く。
風に包まれた、気がした。
そして次の瞬間には僕の服も乾いていてー…。
「せ、精霊?」
「うむ。我々は精霊を使役する。森羅万象があれば、そこに精霊の力が働いている。その精霊の力を少しばかり拝借して、我々は様々なことをなす。そなたら地球人がキカイを使うのと同様だな。かつて我々の星は精霊の力が豊かな星だったが…。この星でも精霊の加護は得られるようだ。」
初めて聞く話に僕はどんな顔をしていたのか。
「…知らなかったのか。ふむ?地球人と我々は共存関係にあったと思ったが、明かされてないことも多いということか。」
やけに大人びた言い方と態度で金髪美少女は顎に手をやった。
「さて、この身体が世話になった。いずれ礼はせねばなるまい。しかし今はー…」
「あのっ!」
僕は叫ぶ。訝しげな顔の彼女。
「レイちゃん、レイちゃんはどうなったんですかっ!」
「ふむ。零式の意識ならば、今は眠っている。『枷』を外したショックだろう。だから今は私が出てきたわけだが。」
その言葉に僕はほっとする。いなくなったわけじゃないのか。
…ってこれは2重人格ってこと?
ほっとする僕の顔を見て、彼女はさらに言葉を続けた。
「ミコトといったか。そなたには、感謝している、しかし、同時に私はそなたに謝らなければならないだろう。」
真剣な顔の彼女。
謝る?なんで?
…というか、いまさらな感じがしなくもないし、そもそも足を突っ込んだの自分からだしー…。
「そなたは思っているだろう。零式を自分から救いに行ったと。しかしー」
しかし?
「実は、違う。」
え。
「我々には『声(ヴォイス)』以外にも、幾つかの能力がある。そのなかのひとつに『魅了(チャーム)』というものがあるのだ。無条件に作用するわけではないが、おそらくは、そなたは零式に『魅了(チャーム)』されている。
ここまで、思ったことはなかったか?自分らしくない行動をしていると。零式を守るために。
それは、『魅了(チャーム)』によって、そなたが零式に縛られていることを意味する。
発動したのは私だが…。
あの状況では、零式ひとりでは、あそこから抜け出すことは出来なかった。」
なるほどなぁ。確かに僕らしくないと思ったことは何度もあったね。
それが『魅了(チャーム)』されてたからかぁ。
何度も頷く。
でもさ。
別に問題ないんじゃないのかな。
「その『魅了(チャーム)』の力で、レイちゃんが助かったっていうんなら、僕は問題ないんじゃないかと思うよ?」
ティアちゃんになってしまった彼女が目を見開く。
「自分の自由意志で行ったことではないのだよ?それを許せる、と?」
「逆に言えばね?」
微笑で返す。
「僕みたいな平凡な人間でも、『魅了(チャーム)』されたから、レイちゃんを助けることが出来たってことでもあると思うんだよ。素のままの僕じゃ、きっとあんなこと無理だったんじゃないかと思うんだ。」
言ってしまえば、僕なんて、しがないサラリーマンでしかない。
ガードロボットのプログラムを書いて、それを納品に使いっぱしりをさせられるような程度。
これまでも表彰されたことなんてないし、誰かを救ったこともない。
救えると思ったこともないし、救おうなんて、そんな英雄みたいな考えなんて持ったこともない。
だから。
それが、例え最初は自分の意志じゃなかったとしても。
確かにあの時、呼ばれたような気がしたし、何度も自分らしくない選択をしたような気はするけど。
その結果、金髪美少女エルフを危機から救って、こうして向き合えてるわけで、どっちかというとお得というかー。
「なので、ティアちゃんも気にしなくていいと思うよ?」
「てぃ、ティアちゃん!?」
「あれ?ちゃんづけダメ?」
「ティアでよい。そのように呼べと言ったはずだ。」
なんかそれも偉そうだけどねぇ。呼捨てというのもどうかと思うんで。
「じゃあ、ティアさん、くらいで。」
「…よかろう。」
「改めてティアさん。僕はね、逆に良かったと思ってるよ。本当ならなんの力もない僕が、君に導かれて、結果としてレイちゃんを助けることができたんだから。」
ティアさんの表情は穏やかだ。
「…お人好しめ。」
「そうかも知れない。」
ティアさんが微笑んだ。
「ならばなおのこと。これ以上、そなたを関わらせるのは、私の本意ではない。
『魅了(チャーム)』を解かせて貰おう。」
え?
「零式ひとりでは何も出来なかったが、今は意識を眠らせていて、私が身体の支配権を持っている。
ならば、この先、そなたの力を借りずとも問題はないはずだ。
…仮に零式の意識が目覚めたとしても、その前に手を打てれば…。」
言うなり、何かの呟きをもらす。
先程、風の精霊を使役したように。
でも。
僕には何の変化も感じられなかった。
「…なぜ、『魅了(チャーム)』が解けない…?」
うん、たぶんそれはー…。
「まさか…。」
さて、なんと伝えたものか。
「たぶん、だけどね?」
ティアさんは僕のことを見つめている。
「僕はもう、君のことを好きになってるのかも知れないねー…。」
我ながら、恥ずかしいことを言ったと思う。
まったく…。
ティアは思う。
本来、『魅了(チャーム)』は、それほど強力な力ではない。
自分に敵意がないことを示し、協力を要請する、そのような能力でしかない。
『魅了(チャーム)』された本人の意志をねじ曲げ、無理矢理に、こちらの意志に従わせるものではないのだ。
ただし。
それは言葉の通じない相手、例えば森の動物や植物に対しても効果を発揮する。
例えば、森の動物達の警戒心を薄れさせ、その背に乗せてもらい移動する。
場合によっては、危険から脱出するために、その協力を得るものでもある。
凶暴な獣に襲われた場合に、周囲の動物に『魅了(チャーム)』を使用し集めることで、襲撃は得策ではない、と判断させるために。
…多くの場合、警戒心を解くだけで、森の動物から襲撃されることはないものではあるのだが。
今回ミコトに施されたのは、後者であるはずだ。
零式の身の危険により、呼びかけられた。
それで、零式に求められるままに行動し、今に至るのだろう。
危機は去った。
ならば、『魅了(チャーム)』を解除すれば、ミコトも、ここを去るはずだった。
これまでも、森の動物達の多くは魅了の解除により、本来の警戒心を取り戻し、慌てて森に帰って行くのが普通だったからだ。
…まあ、前例がないわけでもない。
魅了を解いても、我々と共にいたがる動物がいないでもなかった。
懐く、とでも言えばいいのか。
本来の警戒心が薄い動物などでは、そのようなことも多くあったはずだ。
そもそも我々を警戒しないならば、逃げる必要もなく、むしろ我々と共にあった方が生きるのに楽な場合などは、そのように判断する動物もいたということだ。
ミコトの場合はどうなのだろうか?
ティアと共にあることに何かメリットがあるというのか。
それはー…。
自分には判断の出来ないものだ、とティアは思う。
その価値は、ミコトの決めることだろう。
いずれにせよ、魅了状態だったとはいえ、零式を守って貰ったのだ。
その礼はしなければなるまい。
どんな形になるのか、今はそれすらも解らないが。
「『声(ヴォイス)』の能力は、ある程度解っている。でも『魅了(チャーム)』の方は、実はよく解っていない。」
オフィスの一角。小さな会議室に佐々木は一人でこもっていた。
そもそもの自分のデスクは最上階にあった。
例の爆発事故でデスクを失ったため、代わりの端末が必要になったのだ。
通常業務ならば携帯端末で事足りる。しかし、今、行おうとしているのは通常業務の範疇を超えている。
とはいえ、それが佐々木の本来の仕事でもあるのだが。
「『魅了(チャーム)』とは、他者を使役する能力、そう思っていたんだが。」
多田野君の行動を見る限り、その推測は当たっているようにも思える。
「しかし、それだとすると、これまでも発現の機会はあったように思うが?」
佐々木は首を捻った。
「発動条件がある?」
会議室内の端末を起動して、過去の試験の結果を一覧してみる。
『魅了(チャーム)』が発現したような状況は一切記録にない。
催眠術のようなものか?とも思う。
効果範囲のほどは解らないが、今回は多田野君ひとりがその対象になったようだ。
素直そうな顔をしていた。
それが『魅了(チャーム)』された理由のひとつかも知れない。
爆発から3時間。
まだ、多田野君を捕獲したという報告はない。
ならば。
零式とまだ一緒にいると考えた方が自然だろう。
『魅了(チャーム)』の力がいつまで継続するのかは解らないが。
「零式ひとりでは、どうにもならなかったことが、彼が同行することで可能になるかも知れない。」
佐々木は笑っている。
この状況が楽しくて仕方ない、というように。
「研究室では限定的な試験しか出来なかった。…見たいものだね、出来れば。」
エルフの能力。
例えば『声(ヴォイス)』がどのように作用するのか。
佐々木は、端末を操作する。
「元は我が社の製品だ。メンテナンスのための裏口があっても不思議はなかろう?」
その上、自分はE.L.Fの社員であり、システムの管理者権限を持っている。
「なに、大きく不正を働くわけではないし。ちょっと貸して貰おうか。街頭カメラネットワークの性能を。」
失敗したかなー…。
僕は思う。
でも、正直な話、エルフの能力で自分の意志を変えられた、とかよく解らない。
たまたま、そこに僕がいて、エルフの能力で助けを求められて、結果として彼女が助かったなら、それでいいだろうと思う。
操り人形にされてたわけじゃないし、嫌だったわけでもない。
確かにちょっと僕らしくないかな、と思わないでもないけど。
例えばだよ?目の前で溺れてるひとがいたら、手が届くなら手を出すだろう?飛び込む勇気がなくても、出来る範囲で助けたいと思うだろう?誰かを大声で呼ぶとか。
もしも、自分が溺れているとしたら、出来る限りの力で助かろうとするだろう?
大声を出すとか、暴れて水音をたてるとか。
それが地球人にはないエルフの能力を使ったからといってどうだというんだろう。
だから、それはティアさんが気にする必要はないと思う。
もちろん、助けたことに対してお礼をしたい、と思う気持ちは解るし、ありがたく受け取ろうと思うけど。
…キスとか?やだーそんなー。でも、ほっぺにちゅ、くらいなら…。
それはそれとして。
僕が失敗したかな、と思ってるのは。「好きになっちゃいました」の方で。
僕は、どっちが好きなんだろうね。レイちゃん?ティアさん?それとも金髪美少女エルフ?
…3番目かもしれない…。
不誠実かもしれないけど。だってどっちもいいしなー…。
ティアさんは、難しい顔をして考えていた。
「ミコト。実は、今の私は万全ではない。」
強い意志を感じる金色の瞳。
あー、こっちもいいなぁ…。
「あの場所でひとつ、ここでひとつ。私に課せられた『枷』を外した。その結果、この身体でも意識が表層に出てきたわけだが、幾つか問題もある。」
はっきり言えば、何を言っているのか解らなかった。
でも、問題がある?
「私を蘇らせた連中の思惑は解らないが、『枷』の付いた状態では、彼らに対抗するのもままならない。ある程度の力は発揮できるようだが、このままではあまりに心もとない。そこで、だ。」
彼女は言葉を切る。
「残りの『枷』を探して、砕く。…そなたが『魅了(チャーム)』されたままでよいというのならば、手伝って貰いたい。」
何をしたいのかは、正確には解っていないけど、何か手伝って欲しいということだけは解った。
僕は頷く。
「そうか。ありがたい。この身に感じる『枷』は全部で5つだった。2つ砕いた今は残り3つ。地図はあるか?」
地図。携帯端末の地図はないでもないけれども。
もっと大きな画面の方がいいのかな?
カバンからノートサイズの端末を取り出す。
普段仕事で使用しているものだ。
ちょいちょいと操作して、周辺の地図を表示する。
ティアさんが横から覗きこんで来た。
おー、急接近。
…なんだかいい香りがするー…。
首をぶんぶんと振って雑念を払う。
ティアさんは訝しげにその様子をみていたけどー…。
僕が表示するときに操作した地図表示を見て覚えていたのか、手を伸ばして端末を操作していた。
「ここがひとつめの『枷』。」
E.L.Fビルを指している。
「そしてここが2つ目の『枷』だった。」
今いる公園だ。
「そして、恐らくは。」
こことこことここ。
とティアさんは3箇所を示す。
いずれもE.L.Fビルから等距離にある場所だ。
いずれも公園。
へー。今気がついた。
この街には緑化地域として、いくつも公園があるんだけど、その中でも大きな公園は4箇所だ。
そして、その4箇所全てがE.L.Fビルを中心に東西南北に配置されているんだ。
たぶん、E.L.Fビルが建設された際に、同時にこれらの公園も作られたんだろうな。
ティアさんの言う『枷』を作るために。
「実は、時間もあまりない。もう少し大丈夫かと思っていたのだが。
…ミコトが『魅了(チャーム)』されたままというのは結果としてはよかったのかもしれない。」
ティアさんが言う。
「もうすぐ、零式が目覚める。この身体は、彼女のものだ。いまはまだ、零式の意識が表層にいるうちは、私は出てくることが出来ない。枷の解除は彼女でも行えるものだが。
多少の干渉は可能なようだが、それとて彼女の意志を変えられるほどのものではない。
そして。
…恐らくは彼女は『声(ヴォイス)』を使えない。そのための知識がないからだ。
ミコト。後を頼む。」
ティアさんがそう言うと、雰囲気が変わった。
「…あ、あの、わたし…。」
レイちゃんに戻った。
ティアさんも凛々しくていいけど、やっぱりレイちゃん、かわいいよねぇ。
…ってそんな場合じゃなくて。
実際のところは僕にもよく解ってないけど、彼女はもっと何も知らない。
ティアさんから伝えられた事実は彼女の身に起こっていることだ。
伝えた方がいいんだろう。
そして。
わたし、どうしていたんだろう。
濡れた服も乾いてる。
このひとが、またどうにかしてくれたんだろうか。
ミコト。
そういう名前だった。
心の中で呟いてみる。
ミコト。
トクン。胸の鼓動。
ミコト。
トクン、トクン。少し鼓動が早くなる。
なんだろう。
心が、暖かい。
…解けぬわけだ。
ティアは思う。
ミコトの意志も、確かにあるのだろう。
『魅了(チャーム)』された動物が、特に違和感を持たないように、ミコトにも、そうされたという意識はなかったようだ。
それでも、解除の詞(ことのは)を告げたからには、こちらに警戒心を持ってもよさそうなものだが、ミコトにはそれがない。
たいしたお人好しぶりだ。
それよりも。
『声(ヴォイス)』も『魅了(チャーム)』も、結局は零式の身体から発動されている能力なのだ。
発動のトリガーをティアが行ったとしても、その能力は身体に依存する。
零式が『魅了(チャーム)』を解きたくない、と考えているならば、それは解けるはずもない。
その身体、つまり零式そのものがミコトに惹かれ始めている。
そばにいて欲しいと思っている。
…これは逆にミコトに魅了されたようなものか。
だから、自然と魅了の状態が継続してしまう。
…あのお人好しならば、それでも気にしないというだろうが。
身体に心が引かれなければよいが。
ティアはそう思う。
今は、身体の主導権はティアにはない。
だからこそ。
零式の想いに、ティアの意識が引かれることがあるかも知れない。
そして。
ティアにも解らないことがある。
何しろ、世界樹の中にいたはずの自分が気がついてみれば、この身体に移されている。
状況すら解らない。
もしも。
身体の主導権を握ったら。(それは、そう遠くない未来に確実にそうなるだろう。)
零式の意識はどうなってしまうのか。
ティアが主導権を握った時のミコトの顔をティアは思い出す。
失いたくない、という顔であったな。
失わせないことができるだろうか。
今はティアにさえ解らないことだった。
すでに大きめの街には導入されている街頭カメラネットワークだが、E.L.F本社移転と共に発展してきたこの街では、かなりの面積がカメラによってカバーされている。
もちろん、私有地や個人の住宅などは、その範囲から外れているし、逆に銀行など、犯罪の危険性がありそうな場所には希望により街頭カメラネットワークが敷設されている。
佐々木は、そのネットワークに接続し、ある人物を探していた。
多田野命。
E.L.Fビル内の映像情報から、照合用データは作成済みである。
15分。
この街の規模で、特定の個人を検索するのに掛かる時間。
それが街頭カメラネットワークの仕様である。
「きっちり15分。我が社のシステムは優秀なようだね?」
佐々木の端末には、すでに多田野命の現在地の映像が表示されている。
同時にその座標と周辺地図まで。
「北公園か。」
何があるのか。
警備部の情報では、一度北公園で多田野君を見失ったとの報告が上がっている。
ガードロボットの探索では、一度探索済みのところは、再度命令が発せられない限り、問題なしと判断される。
警察の巡回システムならば、街頭カメラネットワークとの接続により、そのような隙は生まれないが、所詮は一企業の警備システムだ。
そもそも、このような広域を探索するようなことには向いていない。
「まあ、本来使用不可能なシステムだ。警備部の落ち度を指摘するようなものではないな。」
カメラの映像には零式も一緒に写っている。
「レイちゃんも一緒なんだね、思った通り。」
警備部へ手を回して、稼働させられるガードロボットは10台。
通常の包囲は5台で行われる。10台ならば、5台一組で2重の包囲が可能だ。
街頭カメラネットワークとの接続も行われたガードロボットなら、初手の警備部の時のようなミスもない。
「多田野君には申し訳ないが、まあ、巻き込まれた君が悪い。そういう意味ではお互い様だから、このことは問題にならないようにしてあげるよ。」
佐々木の指が端末を走った。
「えっとねー。」
さて、どこから説明したものか。
「あ、あのっ!」
レイちゃんが強く声を上げた。
「あの、ありがとう。また、助けてくれた、んだよ、ね?」
君が自分で助かったんだけどねー…。
とはいえ、そこはティアさんが動いた結果の話。
あの間、レイちゃんは意識がなかったということだし、まさか自分の中にもうひとつ、ティアさんという意識が存在するなんてことは知らないんだろうし。
「まあ、実はそれもねー…。」
言いかけて、止まる。
視界に銀色のガードロボットが入ってきたからだ。
素早く頭を振る。
5台。
これは、通常の包囲陣。ちょっと前の3台の包囲陣とは違う、正規の動きだ。
しかも。
すでに包囲そのものは完了している。
あとは陣を狭めて、スタンで終わりだ。
ちょっと、いや、かなりマズイかなー。
僕の反応にレイちゃんも周囲を見回す。
ガードロボットに気がついて、怯えた表情になった。
ガードロボットは包囲を狭めるために、今は全速で走っている。
もちろん、平らな場所を選びながら、他のロボットと速度を微妙に調整しつつ。
10m、5m、3m…。
僕は、カバンから、さきほど購入したものを取り出す。
ゴム手袋と金属製ボールペン。
ガードロボットは、ひとに激突してはいけない。
そのようにロジックが組まれている。
不審者だとしても同様。
体当たりはしないのだ。
あくまで捕らえるのはスタン機能によって。
だから、近くまで来ると、かなり速度を落とす。
「2台、かな。」
すでにスタンサークルを展開済みのガードロボット。
何かが接触すれば50万ボルトの電圧で、対象を麻痺させる。
一応、対象を見て電圧調整してるってことだけど。
そこのロジックまでは知らないんだよね。
だから。
剥き出しになったスタンサークルと、そこが出てきた本体部分との間に、通電するものを橋渡しして上げれば。
「ショート、するよね?」
外装は、その恐れがないように、絶縁体で包まれていたはず。
でも、スタンサークルが出てくる内部は金属。
ある意味、ガードロボットのセキュリティホール。
これまで、誰も問題にしなかったのが不思議だったけど。
あの隙間、内部構造にそのまま繋がってるんだよね。
バチィ!と音を立てて、一台が停止、そのとなりのガードロボットにもボールペンをプレゼント。
動かなくなった2台が壁になった包囲の隙間を僕はレイちゃんの手を取って走りだす。
「悪いけどっ!ここは逃げさせてもらうよっ!!」
2台を失って、状況を整理しなおしたガードロボットが、再度速度を上げる。
でも、3台での包囲は完成してないし、まだこちらにはボールペンも残ってる。
追跡を開始したガードロボットは、すでにスタンサークルを収納しているから、いますぐにどうこうは出来ないけど。
接近して来たら、同じ手が使えるはず。
そう。
ロボットは人間と違い、学習しない。
今はまだ、同じ手が通用するんだよね。
…次のアップデートの時には対策を入れないとダメかもね。
まさか自分の経験を元に、システムの見直しをすることになるとは思わなかったな。
でも、それもE.L.F社がまたうちに発注してくれたら、の話だけど。
僕がやったこと、街頭カメラに記録残ってるだろうなぁ。
「街頭カメラ?」
東屋を迂回するように走って、また僕たちは繁華街の方に走る。
レイちゃんは、強く僕の手を握っていた。
「見失った?」
佐々木は、手元の端末のアラート表示を見ていた。
街頭カメラネットワークが多田野君を見失った。アラートはその事実を示している。
2台のガードロボットが彼によって動作不能になったのは解っている。ガードロボットの構造的欠陥を利用したものだ。
…まあ、以前から知られてはいたけれども、スタンに立ち向かってくる犯罪者相手では、そもそもガードロボットごときでは相手にならない、と修正されていなかった部分だ。
ガードロボットの相手は、本格的な戦闘経験を持たない一般人が対象となる。
スタン装備を持つと解れば、まさか本体に対して攻撃しようなどとは思わない。
それにー…。
「本体重量もそこそこあるから、実は普通の体格の人間が体あたりしたくらいでは倒れないようになってるしね。」
ガードロボットを撃退したのは見事だったが、残りは8体。
自律稼働でも、街頭カメラネットワークとの連携があれば、追い詰めるのは難しい話ではなかった。
スタンさせた後に警備部の人員で確保の予定だったんだがー…。
「多田野君は街頭カメラのシステムには関わってなかったはずだけど。」
なんらかのセキュリティホールを突いたものなのだろうか?
街頭カメラネットワークは、彼らの逃げ込んだ繁華街には、実は普通の場所より多く設置されている。
公共の場所ではないが、各種店舗など犯罪の危険性のある場所には、店舗側からの申し出があれば、設置することになっている。
そして、自前で警備会社と契約するよりも、警察による警備が確実となる街頭カメラ設置は、各種店舗のオーナーには評判がいい。
むしろ、オフィスビルなどの方が街頭カメラの設置数は少ないくらいだ。
「その繁華街に逃げ込んで、しかも見失った?」
街頭カメラネットワークに一度補足されれば、その対象人物は常にトレースされる。
一度カメラ視界外に出たとしても、その周辺に現れれば、再度補足される。
ロストの警告は、30分後。
仮に対象者が、街頭カメラ範囲外の建物にこもっているとして、その周辺に警察官を派遣するには十分な時間だ。
「しかし、こちらは警察ではないのでね、警官を踏み込ませるわけにも、警備員を派遣させるわけにも行かない。…しかし、まさか本当に引きこもった?」
一応、その周辺にガードロボットを出動させるべく、佐々木の手が端末を操作する。
ネットカフェ。
その個室ブースに僕らは入っていた。
ここなら、内部に街頭カメラは設置されていない。
…まあ、プライバシーの問題というかなんというか。
携帯端末の高機能化により、一時は固定端末は存在を疑問視されたけれども、例えばゲームなどの大画面高性能端末が必要な用途はなくなっているわけではなく、個人で端末をもたなくとも、ネットカフェのような場所では、気軽に高性能固定端末が使える。
その他、家に帰らなくても仮眠が取れるスペースというのも、案外ありがたかったりする。
…仕事が厳しくなると僕も利用したしね。
なので、少なくともこの店舗には街頭カメラが設置されてないことを知っていたわけだ。
ネットカフェでも犯罪防止のために街頭カメラが設置されている店舗も少なくない。
「男女の不適切な利用もあると聞いたことがあるけども。」
ぼそりと呟いた僕の声は幸いレイちゃんには届かなかったらしく、かわいらしく首をかしげただけだった。
ガードロボットが北公園にやってきたのは、なんらかの指示を受けてのことだと思うんだよね。
それって、つまり。
街頭カメラに僕の姿が捉えらたからだと思う。
ということは。
本来、警察のガードロボットが来るはずなんだけど。
…E.L.Fが不正に街頭カメラネットワークを利用しているということだよね。
不正に、ではないのかも知れない。
E.L.Fの力というのは、警察ともつながりがあると考えることも出来る。
まあ、あれほどの巨大企業なのだから、なんらかのつながりがあると考えても不自然ではないけれども。
「そうなると。」
街頭カメラネットワークからの離脱が最優先になるよね。
出来れば、次の目的地の近くまで、街頭カメラに捉えられない道があればなおいい。
ブースの端末を起動する。
街の地図を開いて、次に街頭カメラの範囲地図を重ね合わせる。
これは警察から公開されている情報だ。
…プライバシーの侵害とか言って、公開させられているんだよね。一部市民団体から。
一方で、これだけの範囲は見張られているという事実を公開することで、ある意味示威行為ともなる。
この範囲ですべて、とも思えないけど。
それでも、公開されている情報は利用させてもらわないとね。
「なにを、しているの?」
レイちゃんがかわいく聞いてくる。
「んー、実はね。」
公園であった一連の事実を伝える。
僕もよく解らないことがあったから、正確に伝えられた自信はないけど。
ティアさんのこと。
『枷』のこと。
エルフの能力のこと。
「あの…。」
話を黙って聞いてたレイちゃんが言う。
「ミコトは、わたしのことが怖くないの?」
ん?なんでそういう結論になるのかな?
「怖くないよ。なんで?」
むしろ、ティアさんも綺麗でー…。
「だって、ミコトはわたしになにかをされて、そして一緒にいる、んだよね?いやじゃないの?」
その表情は不安げだった。
「僕はね、レイちゃん。」
そのふわっとした金色の髪に手を置いて。うわー、見た目通りに柔らかいよー…。
という内心の感動はなるべく顔に出さないようにしながら。
「キミが助けを望んでいるなら、出来る限りのことをしようと思うよ。…まあ、たいしたことは出来ないんだけどね。」
苦笑い。
それでも、彼女には気持ちは伝わったようだった。
一瞬の驚きの表情のあと、安心した顔になって、そしてまた不安顔。
「じ、じゃあ、ずっといっしょにいてくれる?」
うるうる瞳の見上げ顔。うわー…。
ずっといっしょかぁ。たぶん、無理なんだろうな。彼女はE.L.Fの関係者なんだろうし。
この異常事態が終わってしまったら、きっとはなればなれになるんじゃないか、そういう予感はある。
でも。
じゃあ僕はどう思ってるの?
今、必要なのは、状況から判断される未来じゃないと思うんだ。
僕が、どうしたいのか、ってことなんじゃないかな、ここはやっぱり。
「キミが、望むなら。キミがそう望んでくれるなら、僕もキミといっしょにいたいと思うよ。」
その言葉で、ようやく、レイちゃんは安心した顔で微笑んだ。
「さて?不思議なものだ。封印のふたつまでもが解放されている。時が来なければ解放されぬはずであったが。」
世界樹の根本、半ば世界樹に同化するかのように腰掛けていたひとりのエルフが呟いた。
彼の名はアーヴァイン。
おそらくはエルフの中でもっとも人間に知られたもの。
地球人との交渉にあたり、地球への移住を決定した人物。
300年の年月も彼にしてみれば、ひとときの夢に過ぎない。
事実上の不老不死の彼らにしてみれば、過ぎ去る年月にあまり意味はない。
異星人技術協力調査委員会。
そんな名称だったか。
長老衆が、あの方の復活を試みたい、と申し出た。
新たな地であれば、それが可能かも知れぬと。
出来ぬであろう、と許可をした。
我々ですら成し得なかったことだ。
技術の劣った地球人に出来るとは思っていなかった。
それでも、万に一つの可能性でもあるのならば、試みたい、そう思う自分もいた。
あの方が再臨されるのであれば。
我々の能力を封ずる5つの封印も渡した。正確に配置さえしていれば、我々の能力は地球人のそれと変わりはないはず。
…世界樹が根付いている。あるいは、今、この時、この場所でならば可能なのかも知れない。
空を漂っていた頃には、世界樹の力にも限界があった。
今はその限界はない。
世界樹が世界樹足るだけの力を蓄えている。
思う。
それでも、封印の解放までは、もっと時間が必要だったはずだ。
それが解放されているということは。
…やはり失敗なのか。
あるいは、とも思う。
しかし、その考えを半ば放棄するように、アーヴァインは、ふたたびまどろみのなかに落ちていく。
意外に知られていない事実だけど、この街には、大きな地下道が存在する。
それというのも、基本的に地上にインフラを設けないために、地下道を電気などのインフラが走っている。
その整備のために、結構な規模の地下通路が縦横無尽に街の地下を走っているのだ。
「…なんで先輩はそんなことを知ってたんだろうね…。」
昔のバイトがどうとか言ってた気がするなー。
飲み会での先輩の自慢話を思い出す。
なんか、今、初めて先輩からのありがたいお話が役に立ってる気がする。
だいたい、飲んだ時の先輩というのはたちが悪い。
妙に絡んでくるしなー。
好かれてるんだよ、とは上司の弁だったか。
とはいえ、その先輩の教えてくれたムダ知識が今こうして役に立っている。
それと。
会社から端末を持って来ていたのも役に立った。
そう。
この端末には、開発中のプログラムが入っている。
具体的には、僕が関わってないプロジェクトのものである街頭カメラネットワークのシステムアップデート予定のプログラムも入ってるわけだ。
佐々木さんとのやり取りで、現在、そのアップデートは実施されてないことまでは解っている。
ならば、今の街頭カメラネットワークシステムには、なんらかの塞がなくてはならない穴があるわけだ。
要求仕様や機能仕様などから、現在の「バグ」を知ることはたやすい。
今、街頭カメラに捉えられている僕にとっては、すごくありがたい情報だったりする。
そのバグ情報と街頭カメラの位置情報、そして地下通路のマップを重ね合わせて、僕とレイちゃんは、街頭カメラに見つからずに、地下通路に入ることが出来たのだった。
もちろん、地下道の入り口には認証によるロックが掛かってる。
…でも、これも先輩のおかげというか。
なんで、認証アプリ持ち出すかなあ。
しかも、僕の端末にもコピーされてるし。
ネットカフェで地下道への入り方を調べていたんだけど、その時、街頭カメラネットワークのアップデートプログラムと一緒に、地下通路入口の認証アプリが入っていることに気がついた。自分でコピーした記憶はまったくないので、先輩がなんかしたに違いない。
…そういや、今度地下通路探検やろうぜーとか言ってたかもしれない。
まあ、ノート端末に入ってたのでは起動しても認証システムと通信ができないので、携帯端末の方にコピーしておいた。
認証システムで地下道の出入りは記録される。あとから調べられたら許可されていない端末を使用し、不正に出入りしたことは明らかになると思うけど。
とりあえず、いまはあとのことより、目先のこと重視で。
懐中電灯はないので、それぞれ手に持った携帯端末のバックライト頼り。
まあ、意外に明るいものなんだよね。
足元くらいなら、十分に見ることが出来るし。
それとは別に、ノート端末で地下道マップを表示して、現在位置をトレースしている。
目的地は西公園。
ティアさんの言っていた、『枷』の解除。
それを行うことで、何が起きるのかは解らないけど。
…悪いことじゃないといいよね。
レイちゃんは、僕の両手がふさがっているので、今はスーツの裾をつかんでる。
…まあ、なんかドジッ娘みたいだから、転ばれるよりはよほどいいけど。
ああっ!本当は手をつないで歩きたいっ!!
…いや、そんな場合じゃなくて。
頼られてるなぁ、と思う反面、守ることが出来るのかなぁ、という不安もある。
腕力も体力も自信なんてこれっぽっちもないし。
例えば、まともに警備員とか警官とか出てきたら、瞬殺されるんじゃないの?という思いはある。
ああいう職業のひとは格闘技経験があるのが普通だし。
一方で僕はといえば、中学生のときに体育の授業で柔道をやったきり。
…受け身くらいは取れるかもしれない。
でも、僕が不安な顔をしてたら、レイちゃんはもっと不安になるよね。
ちらっと後ろを向いて、レイちゃんを見る。一生懸命、足元を見ながら歩いていた。
不意にレイちゃんが顔を上げたので、視線があってしまった。
微笑む。今はそれしか出来ないし。
レイちゃんも微笑んでくれた。
…うん、やっぱり頼られてるよね。
しっかりしないとなぁ。
内心で気合を入れて、僕はノート端末を見た。
目的の西公園はもう少し先だ。
街頭カメラを振り切った今なら、ガードロボットの襲撃もないはず。
再度街頭カメラに捉えられる間の15分で、目的の場所を探さないとならない。
まぁ、おそらくは公園の中央。
そこになんらかのオブジェクトが配置されてると思うんだけどね。
今は、その枷を外すこと、そのことに集中しよう、と僕は思った。
「ふむ。」
一度、街頭カメラからロストしたあと、再度、多田野命を街頭カメラが捉え、またロストした。
最後に立ち寄ったのは、街頭カメラの映像から見て取れるのは靴屋。
「レイちゃんの靴を買ったのかな?」
彼らはまだまだ逃げる気らしい。
目的は何か。
佐々木にもそれは解らない。
「どこにも行き場はないようにも思うんだけどね。」
零式に対して、罪の意識は佐々木は持っていない。
さほどひどいことをしていたという意識はないし、そもそも、時が来れば解放しなければならない約束だったものだ。
「…まあ、それまでの過程で得られるものは得ようという考えは、彼らには望ましくないのかも知れないけれど。」
エルフの生態は、実はよく解っていない。
これまでも研究者はいたし、エルフ側からのある程度の情報提供はあったものの、もちろん、エルフを使った実験など行えるはずもないし、せいぜいが世界樹に住み込んで、彼らの生活を観察することで情報を得るしかなかった。
しかし『声(ヴォイス)』に代表される、彼らの特別な力というのは、興味深い研究対象であったし、その知識を得ることで、これからの文明の発達に寄与するものとなるかも知れなかった。
佐々木は呟く。
「世界の隣人。」
その立場を貫くエルフに対して、地球人類は、あまり強い立場ではない。
その生態や能力を知ろうとしても、拒まれればそこまでだったのだ。
そして、事実、拒まれていた。
技術供与や機材の貸し出しは快く応じてくれるし、それを使うための人材も同様だ。
しかし、同じ物を作ろうと思っても、その技術の根幹が解析できていない。
供与された技術にしても同様だ。教わった通りにやれば、期待した結果が得られる。しかし、その根底が解らない。
「そういう意味では、ここが最先端だったのだけれどね。」
佐々木は笑う。
エルフの技術には、まだ、地球人類が追いつけていない。
佐々木は考えている。
『声(ヴォイス)』に代表される彼らの特別な力が、彼らの技術の根幹になっているのではないか、と。
異星人技術協力調査委員会。それがE.L.Fの前身だ。
世界で最初にエルフから技術供与を得た組織。
形を変え、営利企業のスタイルを取るようになったが、現在でも対エルフということであれば、最初から何も変わっていない。
彼らは、積極的に地球人類と関わろうとしない。
隣人として自分たちの立場を守っているのだ。
そのため、未だ窓口はE.L.Fが行なっている。
案外知られていない事実だが、E.L.Fは実は超国家的機関でもあるのだ。
「まあ、世界的大企業ってことになってるから、あまり怪しまれることもないけどね。」
それにしても。
佐々木は考える。
「多田野君とレイちゃんは何をしようとしているのかね。」
そもそも最初の爆発の原因も実は解っていない。封印の解放がその原因だと思っていたがー…。
「さて。」
佐々木は再度、首をかしげた。
「どうやら成功したみたいだね。」
僕とレイちゃんは、無事に西公園にたどり着いていた。
またガードロボットととの追いかけっこになる可能性があったため、レイちゃんのサンダルは捨てて、靴に履き替えて貰ってる。毎度毎度レイちゃんを抱えて走るのはいくらなんでもキツイ。
ここまでの道のり、その必要はなかった。
ここまでが大丈夫だったから、ここから先が大丈夫という保証はないんだよね。
第一、僕はまだ不審者扱いから変わってないわけだし。
もしかしたら、警察に通報が行って、不審者から容疑者に格上げされてるかも知れないしねー…。
ちょっと考えたくない話だった。
「ミコト、行こ。」
レイちゃんが手を握ってくる。
柔らかい小さな手の体温に、ちょっとドキッとするけど、そんな場合じゃなくて。
地下通路に入った当初、すごく不安そうにしていたけど、気を紛らわすために、僕のことなんかをちょっと話した。
冴えない僕の人生でも、面白かったことや、楽しかった思い出がないわけじゃない。
そんな小さなことをレイちゃんに話してみたんだよね。
それがきっかけだったのか、レイちゃんの顔からちょっとづつ、不安な表情が消えて行って。
地下通路を出る頃には、笑顔も見せてくれるようになって。
心の距離がだいぶ縮まったのかな?なんて思ったりする。
「そうだね、行こうか。」
公園の中央には、恐らく何かがあるはず。
北公園にあったようなものが。
それはティアさんが示してくれた当面の目的ではあるけど、それが全て終わったらどうなるんだろう。
レイちゃんのいる未来。
想像してちょっとだけ嬉しくなった。
想像が現実になれば、きっとちょっとだけ、じゃなくなると思う。
そして、現実にするために、僕にできることは全部やりたいと思う。
僕になにができるだろう。
握られた右手の体温を確かめて、僕は考えていた。
そこに。
「あれ、かな…?」
レイちゃんが僕の手を引いて駆け出した。
公園の中央にオベリスクのような塔が建っている。
見れば公園の建造にまつわる話などが彫り込まれているようだった。
そして。
やっぱりレイちゃんが近づくと、緑色の光があって。
その光にレイちゃんが触れる(やっぱり僕が抱き上げた)と。
パキン、という小さな音。
今度はレイちゃんも気を失わなかった。
でも。
ミコトは一緒にいてくれると言った。
嬉しい。
心が暖かくなった。
ミコトの手は大きくて暖かい。
握っていると安心する。
トクン、トクントクン。
胸の鼓動が心地良い。
これはいままで知らなかったこと。
これがきっと嬉しい気持ち。
暗い地下の道でミコトが話してくれたたくさんのこと、そのほとんどがわたしには何のことか解らなかったけど、わたしの不安を消そうとしてくれる、ミコトのその気持ちが解った。
だから嬉しい。
だから胸の鼓動も早くなる。
トクン、トクントクン。
いつまでも、一緒にいられるといいな。
ずっと嬉しいといいな。
時間はもう夕方に近い。
日はまだ高いが、人々の往来が増えてくる。
ガードロボットを出したままにするのは問題がある。目立つのは望ましくない。
佐々木は警備部にガードロボットを戻すように伝えた。
街頭カメラのコントロールも一時解放する。
警察の該当部署も街頭カメラのチェックを密にする時間だ。
いつまでも裏口を使っていては気付かれる恐れもある。
まあ、幸い街頭カメラネットワークはアップデートのタイミングだ。気付かれても、テスト中と言い張ることは出来る。
それよりも。
彼らは何を目的に動き回っている?
それを突き止めるのが、今後の動きの指針になる、佐々木はそう考えていた。
最初は「世界樹」に逃げ込むものかと思っていた。しかし、駅の方の監視を密にしても、彼らは発見できなかった。
目的地は「世界樹」ではない?
今、佐々木は、過去の資料をひっくり返している。
そもそも佐々木にしても、この件に最初から関わっているわけではない。
10年ほど前に前任者から引き継いだものなのだ。
「それから若干、目的に関しては修正させて貰っているが…。」
それが今回の件を引き起こした可能性も少なくない。
だから、もう一度当時の資料をつぶさにチェックしていたのだ。
「そもそもの発端は。」
18年前にエルフから協力要請があったことだ。
ひとりのエルフの乳児、そして5つのクリスタル。
様々な技術資料。
そして幾つもの機材。
それらがエルフから提供された。
条件は、そのエルフの乳児を無事に成長させること。
シナリオに沿った経験を、その乳児に行わせること。
経験は擬似的なものでも構わない。そのための各種機材だった。
5つのクリスタルは封印と呼ばれるもので、その配置は厳密に指定されていた。
そして。
E.L.Fは、その要請に応えるために、E.L.F本社ビルをこの地に移したのだ。
当初、要請通りに作業は行われていた。
10年前に佐々木がプロジェクトを引き継いだ時に、プロジェクトに若干の修正を加えた。
エルフの生態を解析する。
具体的には、疑似体験を行なっている際に、脳波や心拍などのバイタルを含めモニタするようにしたのだ。その他にも解析器があるものはすべて導入し、可能な限りの情報を集めた。
封印の解析も行い、その強弱のコントロールが可能なことも解った。
疑似体験の試験中、E.L.F社内に設置されている「封印」の効力を強めたり弱めたり、ということも行い、パターンを増やした。
結果、疑似体験中に『声(ヴォイス)』が発現し、被害が出たこともある。
その後、零式の意識がある時に尋ねてみたが、『声(ヴォイス)』は出せないはずだった。
封印に関係があるのか、疑似体験に関係があるのか。
両方だろう、と佐々木は当たりを付けていた。
そもそも、封印として預けられたものが何を封印していたものなのかも解らない。
資料として残されていなかったからだ。
最初からなかったのかも知れない。
そして。
今、E.L.Fビルの封印はない。
改めて過去の資料を調べてみれば、北公園には封印があったことが解る。
「ならば、封印を破壊しに公園に行ったのか。」
面白い。佐々木は思う。
資料によれば、封印の期間は20年。
自然に解放されるまでは、まだ2年もの期間がある。
こちらで封印を弄ったのが原因か、E.L.F本社の封印はなくなってしまっている。
「封印がレイちゃんの能力を調整するものだとすれば?」
残りの封印をすべて解放したら、何が起こるのか?
「手に負えなくなる可能性もある。」
違う可能性もある。封印の期間が定められているということは、時間が必要だったということのはずだ。時間が満ちないまま、すべての封印が解放されてしまったならば。
「レイちゃんが危険、かもしれない。」
佐々木のプロジェクトには、まだ零式が必要だった。
理論すら確立していない。
「そうなっては困る、よね?」
それでも佐々木の笑みは崩れない。
ある意味、佐々木は、この「事故」も、自分のプロジェクトの一環として組み込めないかと考えている。疑似体験ではない、実体験のなか、零式の持つ能力がどのように発揮されるのか。
可能であれば、計測器を持ちだして、記録したいとさえ考えていた。
その佐々木に内線の呼び出しがかかる。
コールは警備部からだった。
「回収中のガードロボットのモニタに例の人物が引っかかったようです。場所は西公園。どうしますか?」
「…ガードロボットは、いずれにせよ、一度回収の必要があるでしょう。そうですね、その上で、もう一度相談しましょう。」
…繁華街で見失った彼らが西公園に?
街頭カメラに見つからずに西公園まで行くのは不可能だろう。
公共の場所の近辺は、街頭カメラの設置数は決して少なくない。
ましてや公園だ。
その道程で街頭カメラネットワークに一度も見つからないなどということは、仮に街頭カメラネットワークのバグを突いたとして不可能だろう。
それだけ重複したエリアが多いのだ。
ふと、佐々木は思い当たる。
「…地下道か。」
繁華街から地下道に潜入し、西公園近くに出る。
これなら通常の街頭カメラネットワークでは捉えることは不可能だろう。
「なかなかやるものだね、多田野君。」
佐々木は笑う。
「でも、手段が解った以上、こちらも手がないわけじゃないよ?」
佐々木は、開発部への内線をコールした。
「ミコト、ミコト!」
レイちゃんが僕の腕にすがりついてくる。
…あー、柔らかいなぁ…。
具体的にはすがりついてくるレイちゃんの、その胸の膨らみが。
ちょっと思考が飛びかけた。
「なにか、へん。わたしの身体、なにかへんなのっ!」
最初は、『枷』を壊した時にティアさんが出てくるのかと思ったけど、どうも今回は違うみたいだ。
ちょっと痛いくらいの力でレイちゃんは僕の腕にしがみつく。
どうしたものかなぁ、と思いながら、それでも彼女の帽子をとって、軽く頭を撫でてあげた。
「大丈夫。僕がいるよ。それで、なにがへんなのかな?」
何度か頭を撫でていると、やっと落ち着いたのか、レイちゃんが呟いた。
「わたしの中に、誰か、いる。」
あー…なるほどね。ティアさんか。
何が起きているのかは解らない。
けど。
「心配はいらないと思うよ、レイちゃん。それは、『もうひとりの君』だと思う。」
「…もう、ひとりの、わたし…?」
「そう。さっき北公園で起こったことは話したと思うんだけどね、君が気絶している間に出てきたティアさんってひとが、今、君の中にいるんだね。それが君に解るようになったんじゃないかな。」
「…もう、ひとりの、わたし…。」
とまどい顏のレイちゃん。
そりゃそうだろうね。
いきなり、もうひとりの自分とか言われても、素直に納得できるとは思えないしー…。
「ミコト。」
不意にレイちゃんの気配が変わった。あー、これはもしかして…。
「そう、私だ。」
ティアさんだった。
もしかして、レイちゃんが事実を受け止められずに失神?
「零式、レイは意識を保っているよ。ちょっと身体の主導権を譲ってもらった。」
身体の主導権?
「『枷』が砕けたからだろう。レイと私の間で意思の疎通が可能になった。
…とはいえ、相変わらずレイの方が主導権が強い。今はレイがおとなしくしているから、このようなことも可能なようだ。」
うーん、これはいいことなのかどうか。
「少し落ち着ける場所に移動したい。レイと話をしたいのだ。すまないが、その間、身体がどうなるか解らない。
…任せても大丈夫だろうか?」
えっと。
どういうことなんだろうか。
身体を任せる?
…え?あんなことや、こんなこともしていいとか?
「…ミコト、おそらく君は言葉の意味を取り違えている。」
ティアさんの視線が冷たい。
やだなー、そんなこと本気で考えてるわけないじゃないですかーやだー。
「…レイは望んでいるフシがないでもないが…。」
小声のせいで聞き取れなかった。
それはそれとして。
西公園にも他の公園のようにいくつか東屋はある。
問題は、そろそろ夜になる、ということくらいか。
夜の公園に金髪美少女エルフとふたりきり…。
いや、そうじゃなくて。
ティアさんのいう「『枷』を砕く」ために行動するのが、ちょっとばかり大変になるかも知れないということで。
…警察のガードロボットの巡回が増えるんだよね、夜になると。
もちろん、犯罪が闇に紛れて行われるのを未然に防ぐためではあるんだけど、その分、こちらも動きにくくなるというか。
E.L.Fが街頭カメラネットワークを使用しているなら、警察のガードロボットのカメラもその範疇に入ってしまう。
見つかる確率が上がるよね。
「ミコト。」
急かすようなティアさんの声。
「それじゃあ、向こうに東屋があるから…。」
指差すと、スタスタと歩いて行ってしまうティアさん。
右手が少し寂しい。
と思っていたら、戻って来てティアさんは僕の右手を握った。
「…レイが望んでいる。」
照れた表情が可愛い…。
思わず抱きしめてほお擦りしたくなったけど、さすがにそれは理性で押し留めて。
トテトテと東屋に向かう。
東屋に着くなり、ティアさんが言った。
「ミコト、そこに座れ。」
東屋の貧相なベンチ。
特に異論はなかったので、言われたままに座った。
「では、頼む。」
いきなり、膝にティアさんが座った。
えっ、えっ。
金髪美少女エルフの柔らかいお尻の感触が膝の上に。
そのまま、身体を預けてくるティアさん。
えっ、えっ、えっ。
ふわりとした金髪が僕の胸に。
なんかいい匂いがするー…。
これが女の子の香り?それともエルフだから?
混乱してると、ティアさんの身体から力が抜けているのが解った。
とりあえず、倒れないように抱き止める。
目を閉じて、やや上向きの彼女の顔を見下ろすかっこうになった。
何が起きているのかというと。
よく解ってないけど、たぶん、レイちゃんとティアさんが中で話をしているってことなんだよね?
その結果、どちらも身体の主導権を持ってない状態になって、こんな無防備な状態になってる、と。
…ある意味、拷問だよね…。
改めて、手の中のレイちゃんを見る。
僕の腕のなかにすっぽりと収まってしまう小柄な身体。
細い手足はすらりと伸びて、陶磁器のような色つやを放っている。
先程まで僕の右手を握っていた細い指も、強く握りしめたら壊れてしまいそうだ。
今は、他の人の目がないから、帽子は傍らにおいてある。
頭を僕の胸に預けるようにしているから、その顔は、やや上向きになっている。
小さなピンク色の唇が目に入った。
すこし身体をずらして、レイちゃんの顔がよく見えるようにしてみる。
今は、その目を閉じている。
そしてやや開かれた唇。
王子様の口づけを待つ眠り姫のようだ。
…王子様、ね。
僕が王子様なんて力不足も甚だしいけど。
僕は、どうしたいんだろうね?
レイちゃんに、一緒にいて欲しいと言われた時、僕も一緒にいたいと思った。
それは本当の気持ちだと思う。
出会ってまだ数時間。
合わせてエルフの特殊能力の『魅了(チャーム)』も掛かってるらしい。
それでも。
出会ってしまったのだから。
今、この瞬間の気持ちに正直でいたい、そう思う。
まあ、今は、ティアさんの言う『枷』を砕くのが先決なんだろうね。
でもその先は?
『枷』を砕いて、ティアさんの能力?が解放されて。
その時にレイちゃんはどうなるの?
ティアさんはどうなるの?
そして。
僕はどうするの?
レイちゃんは逃げたいと言った。
なら、「世界樹」に連れて行く、という手はあるのかも知れない。
「世界樹」はエルフの都市だ。
レイちゃんにどんな事情があるのか解らないけど、「世界樹」まで連れて行けば、エルフの保護を受けられると思う。
でも、そうしたら僕はどうすればいい?
「世界樹」で一緒に住む?
…世界樹から通勤かー…。
まぁ、無理だろうね。だとすれば、たまに会いに行く、くらいになるのかな。
…それもちょっとイヤだな。
この街で一緒に住む?
たぶん、E.L.Fから追われている理由を解決しないと、それは無理だと思う。
そもそも、彼女はどうしてE.L.Fに追われているんだろう。
不意に佐々木さんの言葉を思い出した。
E.L.Fは、エルフに関して何かしている。
それがレイちゃんに関係したことなのは間違いないだろう。
爆発のせいで、かなり破壊されていたけど、あの場所が通常のオフィスではなかったのは間違いない。
あそこで「何か」をしていたのだ。
もしかしたら、レイちゃんは実験材料になっていたの?
…それなら、逃げたいと思うのも、E.L.Fに戻りたくないと言われたのも納得できる。
同時に。
許せない。
怒りがこみ上げてきた。
E.L.Fに彼女を返すことはできない。
では、どうすればE.L.Fにレイちゃんを諦めさせることができるのか?
…E.L.Fを敵に回して何かができるほど、僕は力がない。
自分に力がないことが、これほど悔しいことはなかった。
それでも。
どうにかしなければならない。
E.L.Fが彼女に何かをしていたのなら、二度と彼女をE.L.Fの手に返すわけにはいかない。
僕が、彼女を助けなければならない。
レイちゃんを抱く腕に力が入ってしまった。
「ミコト、痛い。」
レイちゃんの声だった。
腕の力を緩めると、レイちゃんは微笑んでー…。
身体の感覚がなかった。まるで夢の中にいるような感じ。
「さて問題を整理しようか。」
わたしの中のもうひとりのわたしが言った。
さっきの公園での緑色の光が砕けてから、わたしの中のもうひとりのわたしが話しかけてくるようになった。
最初は怖かったけど、ミコトが大丈夫って言ったから、たぶん大丈夫。
怖いことがあっても、ミコトがそばにいてくれる。
「試験体零式。」
もうひとりのわたしが言う。
「その名前は、記号に過ぎない。本当のおまえの名前はティアという。私と同じものだ。」
ティア?
「枷が砕けたお陰で、記憶が共有可能になった。何が起きていたのか。詳細は、例の場所の人間に確認しなければ、明らかにはならないが、何をしようとしていたのかは解った。」
記憶の共有?
「共有とは言わぬか。この身体に起きていたこと、おまえの記憶を私が得ることが出来た。同様に、私の記憶をおまえに渡すこともできるが…今はその時ではない、と判断する。」
どういうことなんだろう…。
「しかし。このことは共有しておいた方がよかろう。」
共有しておいた方がいいこと?
「ミコト、あのお人好しの地球人だが。我々のことを好きだと言った。
先ほど、そう2つ目の『枷』を砕いた時だ。おまえの意識がなくなって、私が表に出ていた時のことだ。」
「好き」の響きに鼓動が重なる。
トクン。
「最初は『魅了(チャーム)』のせいかとも思ったが、それだけでもないようだ。ミコト自身にどれだけの自覚があるのかは解らないが、いわゆる恋に落ちた、ということだろう。
…状況が特殊なせいもあるかも知れぬ。」
恋…。言葉だけは知っている。
重なる鼓動に嬉しい気持ちが後押しされる。
ミコトはわたしのことが好き。
トクン、トクン。
だから一緒にいてくれるの?
トクン、トクントクン。
それが、恋?
なら、わたしもー…。
身体の感覚はないのに、重なる鼓動が止まらない。
嬉しい気持ちが溢れそうになって。
でも。
もうひとりのわたしが言った。
「…今、我々が置かれた状況、ミコトにも知らせた方がよいかも知れぬ。長い話になるかもしれん。零式、ミコトに伝えて、先程の地下に潜るように言って欲しい。」
唐突に身体の感覚が戻ってきた。
ミコトに抱きしめられている。
強い力で。
イヤじゃない。
けど、ちょっと痛くて。
「ミコト、痛い。」
声が出た。
僕たちは、ふたたび地下道に降りてきていた。
「そこ、座って。」
レイちゃんに言われて、僕があぐらをかくと、その上にレイちゃんが座った。
「えへへ。」
はにかむような笑顔。
いや、だからお尻の感触が。
そのまま僕に背を預けてくるレイちゃん。
「ミコトが一緒だから、大丈夫。」
極上の笑顔。
僕はレイちゃんに手を回してー…。
「ミコト。」
抱きしめようとしたところで気配が変わった。
「ティアさん?」
「…不本意ではあるが、レイの望んだことだ。この姿勢で話をさせてもらおうか。
…環境の違いがそうさせたのか、それとも本来の私の性質がこうなのか…。」
つぶやくと、さらには別の言葉を紡いだ。
それは僕には理解出来ない言葉でー…。
周囲が少しばかり明るくなる。
「光の精霊の力を借りた。話をするだけなら、暗くても構わないのだが。
…それと、例の銀色のロボットとやらに邪魔をされても時間を取られるばかりだ。だから地下に降りてもらったのだが。」
言って、周囲を見回す。
「危険はいまのところはないようだが。…少し周囲を監視して貰うことにしようか。」
再び理解出来ない言葉を紡ぐ。
なんらかの精霊の力を借りるということなのだろう。
「さて、ミコト。」
ぽふん、と頭を僕の胸に預けてくる。
「彼らの目的が解った。私の復活だ。」
と突然、ティアさんが言った。
「我々は、本来は精霊なのだ。その精霊が受肉した姿が我々ということになる。」
我々の星にいた頃、遥か昔の話だー…。
ティアさんは、そのように前置きした。
我々は、本来「世界樹」の精霊だった。
それがいつの頃からか、肉体を持った存在となった。
本来の精霊としての力も持ち、さらには他の精霊を使役することもできる。
精霊の使役には、「詞」が必要だったが、技術が進み、「詞」を封じ込める仕組みが出来上がった。
術者がそこに存在しなくても、精霊の力を借りることができるのは我々の生活を便利にした。
しかし、我々も、元々は世界樹の精霊である。
世界樹から力を得なければ、その能力も生命力も徐々に衰退していく。
我々の星には、世界樹はあちらこちらにあった。
そのため、その星全体に我々が居住することが出来たのである。
「詞」を封じたクリスタルの組み合わせで、各種の機器が考案され、文明のレベルは静かに進化した。
そもそも世界樹の精霊である我々は世界樹とほぼ同じ寿命を持つ。
無論、世界樹とて、無限の生命があるわけではないが、星の上にいる分には、ひとつの世界樹が死んでも、他の世界樹からの生命の供給で我々は衰えることがなかった。
世界樹もまた、種を残す。
生命のサイクルは途切れることがなかった。
我々もまた永遠の存在ではない。寿命が来れば死ぬし、新たに生まれる生命もあった。
元々の出自が精霊だからだったのだろう。長く生きるためかも知れなかったが、我々は、星の中でそれほど増えなかった。
世界樹の数に限りがあったからかも知れない。失われれば増える。まるで世界樹によってその数が決められているかのように極端に数が増えることもなければ、減ることもなかったのだ。
我々の世界には争いは少なかった。
穏やかな文明と穏やかな暮らし。
それが我々の世界だった。
それでも、諍いが皆無なわけではない。
その諍いを解決するために長老衆がいて、最長老が存在した。
それらは民意により選ばれたものたちによる組織で、ほとんどの諍いは、その長老衆による決定で解決したのだった。
それとは別に、我々には、たったひとり、最高の権限を持つ「王」が存在した。
それは、男女の交わりではなく、「世界樹」より生まれた者。
世界樹の意志で、常にたったひとり、世に存在する、我々の頂点。
すべてを持ち、すべてを統べ、星の王足るもの。
我々の原初から変わらない、その存在。
王の寿命が近づくと、世界樹から、次の王が生まれた。
王は、次代の王にすべてを引き継ぎ、己の肉体を捨て、世界樹に戻る。
そのようなサイクルが原初の昔から続けられていた。
王は、種族の象徴でもあった。
王の力は、星の力さえも超えて、一族を守護した。
王があれば、我々の存在は永遠だったのだ。
しかし。
星は砕けた。
それは、星そのものの生命が尽きたことであり、為す術はないはずだった。
それでも。
王は一族を守護した。
最後の世界樹と共に、一族の生き残りを空へと逃がしたのだ。
そして。
王はそこで力尽きた。
己の肉体を維持することが出来なくなり、世界樹へと再度融合し、星の空を行く、一族を守ったのだ。
星の空では、世界樹も万全ではない。
その力は限定され、次の王を生み出す力は残っていなかった。
我々は、長い間、その状態で星の空を彷徨うことになる。
限定された世界樹の力は、生き残りの一族のすべてを救うには足りなかった。
そのため、肉体を保存し、魂を世界樹へと一時的に移すことで、一族の存命を計った。
その試みはうまく働き、この星に辿り着くまでに、失われた一族の数は僅かだった。
しかし、王の不在は一族の不安を増し、長い星の旅の間の心の安寧を得るために、幾度か、王の再生を試みたことがあった。
最後の王が世界樹と合一していることは解っていた。
だから、世界樹に働きかけ、再び王の受肉を行おうとしたのだった。
だが、その試みは、何度も失敗に終わることになる。
世界樹の能力が限定されているからだろう。
受肉はしても、王になることはなかった。
うまく、世界樹に合一した王の魂を肉体に移し替えられなかったのだ。
しかし。
今、世界樹は星に根付いた。
以前の星のように、星全体にその力を振るっているわけではない。
それでも。
今ならば、王の受肉はなるかも知れない。
一族にとって、神の再臨とも言える王の受肉。
そして魂の定着。
最後の王の復活。
それが望まれたことだったのだ。
「…18年前、世界樹の力の及ぶ範囲で、魂の定着の作業が行われることになった。それがこの場所だ。ミコト。」
ティアさんが言った。
「私は、我が一族の最後の王。世界樹と共に永き星の旅をして来たもの。
…世界樹にて受肉の後、この地に移されたのだ。
恐らくは。
星の力を借りて、肉体に魂を定着させるために。」
静かな呟き。
「じゃ、じゃあ、レイちゃん、は…?」
「レイは、いわば、この肉体の仮の魂。とはいえ、本来の肉体の魂でもある。そして、世界樹から生み出されたということは、私と同一の魂ということになる。いまは、いわば、一時的に魂が分かたれた状態と言えるだろう。そのため、最終的には私とレイの魂は融合する。」
何かを断ち切るような言葉。
「そうなった場合、恐らく、残るのは私。今の…レイと呼ばれる意識は、私の意識の中に飲み込まれ、融合し、失われるだろう。」
それは残酷な宣言だった。
望まれたのはティアさん。事情を知れば、それは当然の事なのかもしれない。
元々は、ティアさんとして生まれるべき生命だった。
でも、今、ここにいるのに。
ここに意志を持って存在するのに、飲み込まれてしまう?
レイちゃんが?
「ミコト。」
ティアさんが呼ぶ。
「本来、私は世界樹の中から出てくるつもりはなかった。星の旅の中、幾度も受肉に失敗し、そして、今も世界樹の力は、この星の支配などできるほど大きくはない。私はもう星の王ではないのだ。静かに、世界樹と共に、一族と共に朽ちていくつもりだった。」
でも。
「我々の一族でなければ、世界樹に働きかけることは出来ない。
…恐らくは長老衆が行ったのだろうが…
『枷』は、私の力を封じるもの。レイの肉体が私の力を受け止められるまで成長するのを待っていたのだと思う。
しかし。」
ティアさんの目が厳しいものとなる。
「あの場所の地球人が何かをしたのだろう。『枷』が外れるには、レイの肉体は、まだ成熟したとは言えない。
…このまま完全に『枷』が外れれば、最悪、『死』もありうる。」
死?
「そ、それは…。」
「これまで、ここまで完全に融合が進んだ例はない。もはや、私もこの肉体を構成する魂となっている。肉体が滅びれば、レイも私も死ぬこととなるだろう。」
「じゃ、じゃあ『枷』をこれ以上砕かなければ…。」
「時が満ちれば、いずれにせよ『枷』は砕ける。そのように作られているのだ。
…それまでに、肉体が成熟すればよい。あの場所に戻り、地球人の協力を得るのがよいのかも知れぬ。」
やっぱりE.L.Fに戻るのが一番なの?
でも、レイちゃんはイヤだって…。
「せ、世界樹に行くのはダメなの…?」
世界樹に行けば、エルフなんだから、きっと守ってもらえるし、地球人より進んだ文明を持ってるんだからー…。
ティアさんは世界樹の方角をチラと見る。
「それも考えないではなかったが。
…『枷』が問題だ。『枷』はここにあることで作用していると考えるべきだろう。
この地を離れては、何が起こるのか、私にも見当がつかない。」
ティアさんはうつむいてしまった。
そして。
「最初に私が囚われていた場所、あそこでは、何やら我々一族の生態について調査をしているようだ。精霊の力を地球人のキカイに組み込もうという試みかも知れぬ。
…いずれにせよ、殺されることはあるまい。
私が協力すれば、私の口利きで、ミコト、そなたも自由に会いに来れるようになるやも知れぬ。」
何かを諦めたような言葉。
そのティアさんが僕の両手を取って自分の身体に回した。
「…抱きしめてやれ。レイが不安に思っている…。」
ぎゅっと、両腕に力を込める。
彼女の身体は小さく震えていた。
レイちゃんが不安になっているのか。ティアさんの諦めが震えになっているのか。
その両方かも知れない。
他に方法がないの?
レイちゃんが消えないで済む方法は。
知らず、さらに力が入ってしまった。
それに応えるかのように彼女の腕にも力が入って。
「ミコト。」
それはどちらの声だったのか。
僕は。
「キミが不安なら、僕は何度でも抱きしめる。
キミの不安がなくなるまで。
でも。」
僕はやっぱり。
「僕が抱きしめる理由はそれだけじゃない。
僕が抱きしめたいのは、キミのことが好きだから。」
だから。
失わせない。どちらも。
ガードロボットは、警備用のものだけではない。
E.L.Fの開発部では、それ以外の用途、つまり「軍用」のガードロボットも開発されている。
それは警備用のガードロボットに設けられているリミッターをカットされているものだ。
最大速度の60km/hで走り、清掃機能を外したその場所には爆弾を仕込むこともある。
戦場では、相手の怪我も周囲の破壊も気にする必要はない。
場合によっては体当たりで敵を止めることもある。
そして。
スタン機能の代わりに付けられているのは直径1cmほどの鉄球を放射状に射出する散弾機能。
圧縮空気で発射されるそれは、至近距離からであれば、ショットガン程度の威力を発揮する。
対歩兵用としては十分な機能だ。
暴徒鎮圧用としては、鉄球ではなく低反発ゴム弾を使用することもあるが、至近距離で食らえば、骨折は免れない。
他人を巻き込む可能性があるから、この都市の地上では使えない。
しかし。
地下道なら。
「地下道に逃げ込んだのは良かったと思うけどね。」
佐々木は手早く端末を叩く。
「さすがに鉄球はやりすぎだと僕も思うから、ゴム弾にしておくけど。
…骨折程度の怪我くらいは覚悟して貰わないとね。僕からレイちゃんを奪った罪は、まあ、それで贖ってもらおうか。
レイちゃんも巻き込むことになるけどー…。
まあ、『声(ヴォイス)』が使えるなら、そんなにひどいことにはならないと思うけどね。
いずれにせよ、二人にはちょっと申し訳ないけど、動きを止めさせてもらおうか。」
開発部から調達出来た「軍用」仕様は5台。一台でも十分な性能を持っている。
地下道ということであれば、最大速度で移動可能なのだ。
その上。
「普段は稼働していないけどね。地下道にも監視カメラネットワークはあるんだよ?」
通常は警察もモニタしていない。
有事の際、地下道に逃げ込んだ容疑者を追うためのものだ。
零式の使った『声(ヴォイス)』によるものだろう。地下道に光も確認している。
そして。
監視カメラネットワークには、すでに二人の姿が捉えられていた。
零式のリミッターは、まだ掛かったままだろう。
それでも。
「見れるかもしれないねぇ、この追いかけっこで。」
佐々木は楽しそうに微笑んでいた。
「なにか、来る…!」
レイちゃんになっていた。
まだティアさんの支配力はレイちゃんには及ばないのだろう。
だから、強い感情や、とっさの反応ではレイちゃんが出てくるのだろうと思う。
おそらくは、先ほど周囲を探らせると言っていた精霊がなんらかの反応を寄越したのかな?
レイちゃんは、僕の手を取って、走りだした。
「こっち!」
手を引かれて走りながら、僕は背後を振り返る。
ガードロボット、だと思うけど…。
明らかに速度が速い。
性能限界の速度で走ってくる。
これじゃ、人間の足じゃ逃げ切れない。
光の精霊の明かりは、僕らよりも少し前をぼんやりと照らしながら進んでいる。
レイちゃんになっても、一度発動した精霊の力は消えないものと思われる。
不意に光が曲がった。
地下道の脇道に入ったのだ。
その光を追いかけて、脇道に入った瞬間、ズバンッという音が響いた。
その後、ダダンッと周囲に何かが弾ける音。
まさかー…。
「軍用モデルを出してきたのっ!?」
軍用のガードロボットなら、街中の警備用のモデルとは、その設定がまるで違う。
警備用みたいな甘い仕様じゃないんだよね。
最悪、あの100kgの円筒に60km/hで体当たりされることもありえるわけで。
さすがE.L.F本社、なんでもアリだなっ!
恐らくは一台ってこともないんだろうし…。
それにしても。
僕はともかく、レイちゃんまで怪我をしてもいいと思ってるってことだよね、この軍用モデルの投入は。
かなり頭に来た。
地下だから、ってことで投入してきたんだとは思うけど。
さすがに地上にアレを出したら警察だって黙ってない。
本来は暴徒鎮圧や、街中での戦闘を考えたモデルだし。
繁華街で散弾なんて発射したら、数十名に被害が出かねない。
うまく運用すれば、拠点攻撃にだって使えるシロモノだし。
…一度実物見たいとは思ってたけど、まさか追いかけられることになるとはねー…。
とか思ってると、正面の脇道からもう一台。
もしかして、もう包囲されてるのっ!
「レイちゃん、ごめんっ!」
正面のガードロボットがずらりと並んだ銃口を見せた時、僕はレイちゃんを抱きかかえて、ガードロボットを踏み台にしてジャンプした。
次の瞬間、またズバンッって音。
いてっ!いててっ!!
跳弾したゴム弾が身体のあちこちに当たった。
ものすごく痛い。とっさにかばったから、レイちゃんには当たってないと思うけど。
腕の中で不安そうに僕を見つめるレイちゃん。
でも、ゴム弾でまだよかった。これが鉄球だったら。
圧縮空気の充填があるから、連発出来ないのが、この散弾機能の欠点。
とはいえ、わずか15秒程度の充填時間なんだけど。
「ミコト!そこを右にっ!」
ティアさんに変わってる。
抱きかかえたまま、僕は走った。
「全部で5台いる!今の私の力では、アレに対抗することは出来ない。…もうひとつ、『枷』を砕きに行く。」
「でも。」
「地図なら覚えている。言う通りに走れ!」
有無を言わせぬ強い言葉。
でも、でも…。
「…死なせない…。」
どちらの呟きだったか。
確かに、非合法の軍用モデルを投入して来たということは、僕を闇から闇へと葬ることを考えていないとはいえない。
身動きが取れなくなって、地下道に放置されたら。
ゾッとした。
「次は左だっ!」
脇道へ飛び込む。
後ろでガシャン、と激しい音がした。
恐らくは。
ガードロボット同士の激突だろう。
それで、片方だけでも倒れてくれれば、起き上がるまでの時間が稼げる。
ティアさんは、そういうことも考えて道を指示しているみたいだ。
…あとは僕の体力次第か。
走る速度が落ちている。
「…ミコト。」
ティアさんが僕の首に巻き付けてる腕に力を込めて、顔を首の当たりに近づけた。
聞こえたのは、また理解できない言葉。
その結果、一気に疲労が抜ける。
これならっ!
しかし、これがエルフの能力かー。これは確かに便利だし、必要な力かもしれないなー…。
E.L.Fが必死でレイちゃんを取り戻そうとしているのも解る気がする。
でもさ。
でも、だよ。
レイちゃんは、戻るのがイヤだって言ったんだよね、最初。
ティアさんの言うことも解る。
死んでしまう可能性があるなら、E.L.Fに戻った方がいいのも解る。
でもさ、本当に、他の可能性はないの?
「見えた!階段だ!!」
南公園への出口が目前に迫っていた。
佐々木は複数のモニタを眺めていた。
地下の監視カメラネットワークに映されるものと、ガードロボットのアイカメラからの映像だ。
ところどころで、『声(ヴォイス)』のものと思われる現象がある。ガードロボットの軌道の先読みなどがそれだ。
「特別、勘に優れているということではないはずだ。正確に、読んでいる。」
そして。
「能力の増加?ではないのかな。単なる疲労回復か。多田野君には、元々それなりの体力はあったということかな?」
一度、ガクンと落ちた走る速度が急に回復した。
「どのような力なのかは解らないけど。医療の現場などに転用できれば、死者を減らせるかも知れない。」
佐々木は悪人ではない。
これまでのプロジェクトも、すべて「人類のため」に考えてきたものだ。
異星の優れた科学力があるのならば、それを地球人が手にして悪いという法はない。
むしろ、可能な限り速やかに手に入れるべきだろう。
「不老不死が手に入るとは思ってはいないが。」
それでも、飢えで苦しむひとが減るならば。
病で倒れるひとが減るならば。
くだらない争いを牽制し、戦争を減らせるならば。
「技術は、あった方がいい。」
佐々木がエルフの技術者に会いたい、そう考える理由だ。
「砂漠化は止まった。気候の変動も。そう。世界は今、20世紀初頭と同程度の状態だ。」
それでも、もっとよく出来るはずだ。
エルフが惑星改造をしないというのならば、地球人の手で為せばよい。
「エルフが地球に住むのは、かまわない。」
それでも、エルフに気を使って、地球人が痛みを得るのはおかしいだろう。
それが佐々木の考えだった。
零式ひとりの犠牲で、地球人数万が助かるなら、佐々木はそれで構わない。
地球人にとって、佐々木は、決して悪人ではなかった。
「ん?」
佐々木は通信のログに気づいた。
「しまった。警備部に情報が流れている。」
開発部から情報が流れたか。
さすがに非合法運用は隠蔽しきれなかったと見える。
…問い合わせが来るのも面倒だがー…。
すでに、南公園へと警備部が向かってるとの通信ログが流れている。
地下に展開したガードロボットにより追い詰める予定の場所がそこだ。
「さて?僕も行くべきなのかな。」
「待伏せっ!」
周囲はすでに暗い。
日が落ちてからだいぶ経っているみたいだ。
そして。
南公園内に設けられていた地下通路への出入り口の外には、ガードロボット30台あまり、警備員10名あまりが半円状に周囲していた。
ガードロボットは通常のタイプ。
さすがに地上では軍用モデルは使えないらしい。
そりゃそうだ。
ヘタすれば警備員までまとめて始末されてしまうものね。
でも、だからといって安心できる状態じゃない。
ガードロボットによる3重の包囲、その上で警備員が背後に配置されてるし。
ボールペン数本でどうにかなる状況じゃない。
「ミコト。」
ティアさんの声。
「あのロボットとやらは、地下にいたものと違うようだが?」
「普通の警備タイプだね。スタンの直撃さえくらわなければ大丈夫だとは思うけど…。」
僕の言葉にティアさんは小さく頷いた。
「効果範囲を広げると、影響は小さくはなるが…。」
ティアさんが「詞」を使う。
途端にガードロボットの動きが乱れた。
「電気、とやらで動いているんだろう?それも精密な。
…ならば、その流れを乱してしまえば、期待された動きにはなるまい。」
それに、とティアさんが呟く。
「…元々は我々の技術なのだろう?これは。」
ガードロボットは、ぐるぐると動きまわって周囲の他のロボットと激突していたりしていた。
今度は、ガードロボットが邪魔をしているから、警備員がこちらに来れない。
とはいえ、こちらもガードロボットの壁のおかげで、公園中央には向かえない。
どうしたものか、と考えていると、ティアさんが手を伸ばしてきた。
「ミコト!掴まれっ!飛ぶぞっ!!」
え?飛ぶ?
差し出された手をしっかりと握ると、身体を浮遊感が包む。
次の瞬間、僕の身体はティアさんに手を引かれる形で5mもの高さを飛んでいた。
そのまま警備員逹を飛び越して、公園の中央の方に。
警備員逹は、あっけに取られた顔をして僕等を見ている。
そりゃあそうだろう。
なんの装備も付けてない、金髪美少女とよれよれスーツのサラリーマンが突然空を飛んだんだから。
50m以上も差を広げて着地。
距離が開いたせいか、それとも大ジャンプなんてやらかしたせいか、ガードロボットにかかっていた電気の流れを乱す精霊の力が解除されてしまったらしく、ガードロボットもふたたび僕等をロックオン。
同時に、気を取りなおした警備員も走ってくる。
ついでに。
警備員が無線に怒鳴ってる声も聞こえてきた。
「もはや我々では手に負えん!警察に通報してくれ!!」
…警察に通報されたらしい。
なんてこった。
これで僕は、不審者から一気に容疑者?
そして。
僕は走った。
何のために?
逃げるために。
そう。僕は、迫り来るいろんなものから逃げていた。
具体的には、警備員やガードロボットや、もしかしたらこれからは警察からも。
それは僕が犯罪者だから?
いや、違う。
僕は犯罪者ではないし、もしも犯罪者になるとしたら、この逃走劇が終わって、なんらかの裁判の果てに決着することだと思う。
僕は違うと思いたいけど、もしかしたら、全力疾走で犯罪者への道を駆け抜けているのかも知れない。
いや、違うと信じてるんだけど。
僕の右手には、華奢な左手が握られている。
そう、この逃走劇の同行者の手を。
小柄な同行者。
耳のとがった、エルフの女の子。
僕が走っている原因。
ティアさんとレイちゃん。ふたつの人格をその身体に宿した金髪美少女エルフ。
ふたりを、ふたりとも無事に望んだ形にするために。
だから僕は懸命に走ってる。
これまでの人生、ここまで走ったことなんてない。
目的の南公園の中央部はもうすぐそこだ。
そこまで行けば、4つ目の『枷』を砕ける。
そうすればー…。
…そうすれば?
ティアさんの能力は上がるんだろう。
今でもこれほどの力を持っている。
もっと凄い力を手に入れてー…。
それでどうするの?
結局、最後はE.L.Fに戻ることになるの?
そして最終的にはレイちゃんが消えてしまうの?
それで、いいの?
「ミコト、見えた。あれだ。」
ティアさんが指差すのは、一枚のプレート。モノリスとか呼ばれる黒い石碑だ。
「『枷』を砕く。それで一気になぎ払えるはずだ!」
ティアさんが走る。
僕も一緒に走るけど、まだ頭の中が整理されてなかった。
『枷』を壊せば、今の状況は逆転出来るかも知れない。
でも、本当にそれが正解なの?
ティアさんは振り返って僕を見つめた。
でも、これまでとちょっと雰囲気が違う?
ティアさんもレイちゃんも同居してるようなー…。
「精霊女王として。」
「わたしに嬉しいをくれたひとだから。」
「身体を守ってくれた借りは返さねばなるまい。それゆえに…」
「ずっと一緒にいたいから…」
「「ミコトを守る!!」」
ティアさんとレイちゃんのそれぞれの思いが言葉になった。
そして、残りの距離を跳躍して、彼女は4つ目の『枷』を砕いた。
変化は、劇的だった。
「間に合わなかったか?」
佐々木は南公園に到着していた。
警備部から警察に通報が入り、佐々木がE.L.Fビルを出た時、ちょうど佐々木の脇をパトカーが走り抜けて行ったところだ。
佐々木が南公園の入り口に到着した頃には警察の配備が完了していたのか、すでに出入り口は封鎖されている。
「まいったな。これじゃ見れない。」
端末でカメラ映像は録画しているけれども、見れるならせっかくだから生で見てみたい。
「携帯用の解析器も持ってきているわけだし。」
佐々木は、公園の周りを走りながら警官の守りの薄いところから公園内に忍び込んだ。
おそらくは封印の存在するであろう公園の中央へと進みだし、佐々木はぎょっとする。
足元に砕かれたガードロボットが転がっていたからだ。
人力での破壊はほぼ不可能。
ここまでの破壊を行うならば、なんらかの重機あるいは戦車や装甲車等で踏みつける。
または。
高所から落下させるくらいしか手がない。
さらに佐々木は中心部へと向かう。
そして佐々木は見た。
公園の中央、多田野命と共に並び立ち、風を自在に操る少女の姿を。
「これが、『声(ヴォイス)』の力…。」
4つ目の『枷』が砕けて、ティアさんの様子が変わった。
精霊の力を振るうのに、もはや「詞」は不要だった。
手を振れば、ガードロボットすら吹き飛ばす強風が巻き起こり、突進してくるガードロボットを指差せば、中から雷が迸る。
一度、円陣を組んで、一気に襲いかかろうとした警備員も、手のひとふりで、すべて吹き飛ばしてしまった。
今、警備員は、完全に戦意を喪失してへたり込んでいる。
そこに。
警官がやって来た。
「どういう状況なんだ…?」
そりゃあそうだろうね。
ちょっと理解不能だうとは思うけど。
「ば、化物だっ!」
倒れていた警備員が警官にすがりつく。
「男と女の子といるが…やはり男の方が容疑者か?」
警官が警備員に尋ねると、警備員が強く首を降った。
「ちがう!化物は、あの金髪の方だっ!あれがガードロボットも俺たちも吹き飛ばしやがったっ!!」
警官は信じられない、という目で彼女を見た。
そりゃあねぇ…にわかには信じられる話じゃないよね。
見た目は華奢な女の子にそんなことが出来るなんて。
すでに警官も15名程度が僕たちの周りを包囲していた。
スタン警棒を手にしている警官もいれば、拳銃に手をかけている警官もいる。
いきなりの発砲はないとしても…。
スタン警棒はともかく、銃弾を防ぎきれるかどうか。
それが問題だった。
そこへ、佐々木さんがひょっこり現れる。
「やぁ、多田野君。半日ぶりくらいかね?」
「佐々木、さん?」
「キカイにつなぐ、ひと…。」
佐々木さんの登場で、ティアさんはレイちゃんになってしまったみたいだ。
レイちゃんの言葉通りなら、佐々木さんはレイちゃんで実験をしていたひとでー…。
「すまないね、警察の方々。大事にしたくはなかったんだが、うちの警備部が連絡を入れてしまったようで。」
「十分大事でしょう。どうして通報しなかったんですか!」
警官が怒鳴る。
「事件性がないものでね。単に事故によって、少女がひとり施設から抜けだした。その少女が頼ったのがそこの青年というだけで、少女さえ無事に戻るなら、なんの問題もない。」
「これだけのガードロボットが破壊されるなんて、通常はありえない!なんらかの武器を所持していると考えるべきだっ!」
警官の言い分ももっともだった。
でも、実際には武器など所持してはいないんだけど。
…ある意味、より凶悪なものならあるんだけどねー…。
「さて?レイちゃん。お散歩はもう十分だろう?そろそろ我々のところに戻ってもらえないかな?」
抗議を続ける警官を無視して佐々木さんはレイちゃんに告げた。
「多田野君が気に入ったのなら、時々は多田野君が遊びに来られるように手配もしよう。それで十分じゃないかな?」
それは佐々木さんの譲歩なんだろう。
僕の腕にしがみつくレイちゃんの様子から、思いついた説得に違いない。
「ミコトにいつでも会えるー…。」
レイちゃんは、うつむいてしまった。
佐々木さんは笑う。
「なに、問題はない。以前と同じになるだけさ。封印は解けてしまったが、まだ計測は出来ないわけではないだろう。それにー…」
続く言葉。
「レイちゃんは、まだ不完全なはずだ。」
ティアさんも言っていたことだった。
僕は思う。
その不完全な状態で、ここまで『枷』を砕いてしまった。
それは、本当になんでもないことなのか?
佐々木さんの言う通りE.L.Fに戻れば、元通りになるものなのか?
もしも。
そうだとしても。
ティアさんは言っていたじゃないか。
レイちゃんは、消えてしまう、と。
「…そんなのってないよ…勝手なことばかり言って…レイちゃんはどうなるんだよ…。」
「ん?不思議なことを言うね、多田野君。レイちゃんはどうにもならないさ。これまでの通りだよ?」
なんの疑問も持たない佐々木さんの笑顔にやたらと腹が立った。
「あなたはっ!何も、何も知らないからっ!!」
「…僕が何を知らないと?」
佐々木さんは顎に手をやって首を傾けた。
そう。佐々木さんは知らない。
レイちゃんの身体に起こっていることを。
だから平気なんだろう。
「…そこまでにしておけ、ミコト。いずれにせよ、選択肢はない。」
レイちゃんが迷ってしまったからだろう。ティアさんが表に出てきていた。
「なんだ?君は、零式ではないな?」
「そなたに名乗る名はない。地球の技術者よ。…そなたらがレイにして来たことは知っている。礼を欠いたものでないこともな。それでも、そなたに名乗る名は、ない。」
佐々木さんの驚いた顔。
「…なるほど。これが、望まれた結果か?興味深い…」
佐々木さんの声は、途中でノイズにかき消された。
ノイズの発生源に目をやれば、地下道から「軍用」ガードロボットが5台出て来たところだった。
確かに地下道の入り口は、待伏せのせいで閉めてる余裕はなかったし。
自律駆動のまま、僕を追ってやって来たのだろう。
最高速度でこちらへ向かって走ってくる。
「なんだ、あれは…。」
警官も驚いた様子を見せる。普通のガードロボットとは違う動きに、敏感に危険を察知したんだろう。
そんななか、包囲していた警官のひとりが僕に飛びついた。
死角からの体当たりに、僕はまるで気がつけていなかったんだ。
そして、そのまま押さえつけられてしまう。
「…ミコトに触れるなっ!」
ティアさんの腕のひとふり。
それだけで、警官は吹き飛ばされる。そのまま気絶してしまったらしく、ぴくぴくと身体を震わせていた。
警官隊に緊張が走る。
目の前で、力を見せつけられて警備員の言ったことをようやく実感したようだ。
そんな状態でも佐々木さんはティアさんから目を離してないようだった。
「『声(ヴォイス)』すらいらない…だと…?」
佐々木さんの声が聞こえた。
軋む腕をさすりながら立ち上がる僕。
「軍用」ガードロボットは、もう散弾の射程に入っている。
佐々木さんは、それにすら気がついていないのか、じっとティアさんを見ている。
そして、慌ただしく手元の機械を操作し始めた。
…ガードロボットを止めようとしてるんじゃないみたいだな…。
5台のガードロボットは一斉に、ゴム弾の射出口を開いた。
もちろん、ティアさんはそれを見逃さない。
「元々、これを排除するために『枷』を砕いたのだったな。」
何かを投げるような仕草。
その途端、ガードロボットの動きが止まり。
綺麗に中央からふたつに割れた。5台一斉に。
何をしたのか、僕にも当然解らない。
「な、なんだ!?なにをしたんだっ!」
警官隊から悲鳴にも似た叫びがあがる。
ひとを弾き飛ばすのなら、さっき見た。
しかし。
今見せた力は並みの脅威ではないはず。
その証拠に何人もの警官がホルスターから拳銃を引き抜いた。
そりゃあねぇ…。
ガードロボットの動きを止める、ならまだしも、こんなふうに破壊出来るなんて、普通はありえない。
しかも「軍用」モデル。それなりの装甲は装備しているはず。
それがまるで紙でも切るみたいに真っ二つ。
信じられる話じゃない。
目の前で見ても、自分の目を疑うもの。
「…して、佐々木とやら。そのキカイで、知りたいことは解ったのか?」
ティアさんの目は冷ややかだった。
「は!」
はははは、と佐々木さんが笑う。
「君は、なんだ!?確かに僕の知るレイちゃんじゃない。彼女は、そんな目をしていない!君は!なんだ?」
「精霊女王。そなたには、そう呼んでもらおうか。」
凜とした声が響き渡る。
その場にいた誰もが、その声に気圧されていた。
いや、僕はそうでもなかったけれども。
その時のティアさんには、確かに女王の風格があった。
着てるのは、ライムグリーンのワンピースだったけど。
それすらも、その時の彼女には威厳を支える衣装のようでー…。
「…ミコト。」
静かにティアさんが僕の方に振り返った。
その顔には微笑が浮かんでいて。
「短い間ではあったが世話になった。…その、楽しかったぞ。」
照れたような微笑。
ティアさんは、E.L.Fに下るつもりなのだ、とその時解った。
他に方法はない。
この場を収めるためにも。
僕のために、ティアさんはE.L.Fに戻るつもりなんだ…。
ティアさんから発せられていた精神的圧力が消えて、その場の緊張が緩んだ瞬間だった。
パンッ!という乾いた音が響いて、何か熱いものが僕の胸を貫いた。
自分の胸を見ると、ちょうど心臓の辺りから、真っ赤なものが広がっていて…。
拳銃を手にしたまま、ティアさんに気圧されていた警官が、一瞬の場の緩みで、引き金を引いてしまったものらしい。
狙ったものではないことは明らかだ。
狙うなら、まずは足をねらうはずー…。
正面に目をやると、まだ紫煙をたなびかせる銃口と、真っ青になった警官の顔が目に入った。
あれ?
僕、ここで死ぬの?
驚きはあったけど、痛みは感じなかった。
驚きすぎて、他の感覚が全部麻痺してしまった感じ。
だからこそ、『死』の直感は間違いないように思えて。
ドクン、ドクン、と鼓動が強く意識される。
そのたびに、真っ赤なものは強く吹き出して行って。
そのたびに、力が抜けて行っているようで…。
僕は膝から崩れ落ちた。
世界樹が震えた。
おそらく。
すべての一族が知覚しただろう。
世界樹の震えを。
何かが起きた。
アーヴァインは立ち上がる。
「世界樹を震えさすなど。あの方以外にできようはずもない。まさか、成ったのか?」
成ったのならば、行かねばなるまい。
まさかと思っていたが、根付いた世界樹の力と、地球人のカガクとかいう力は、案外侮れなかったものらしい。
いや、星が王を受け入れたということか。
世界樹の力のみで成し得ることではない。
星の力を得るために、あの場所が必要だったのだ。
「長老衆を集めるべきか?いや、陛下をお迎えするのだ。すべての長老衆を集めてからが望ましいが…。」
世界樹の震えなど、アーヴァインの長い生命の中でも数えるほどしか経験がない。
何かが起きているのだ。
「ならば、まずは私だけでも先行すべきか。」
アーヴァインは『声(ヴォイス)』によるゲートを開いた。
佐々木は見ていた。
最初、佐々木にも何が起こったのか解からなかった。
そして、ゆっくりと暴発事故だと理解した時、多田野君が倒れた。
精霊女王も、それは佐々木と同じだったらしい。
何が起きたのか、その現実を受け入れるまで、わずかに時間がかかって。
それは、最初、精神的な圧力としてやって来た。
緊迫した場の雰囲気。
しかし、それは次の瞬間には、物理的な圧力に変わった。
精霊女王から発せされるなんらかの圧力が、佐々木や警官隊を乱暴に叩きのめしたのだ。
みながみな、精霊女王の前にひれ伏した。その場で立っているのは、精霊女王ただひとり。
精霊女王は、もはやなんの行動も取っていない。
ただ、その場にいるだけで、その場を支配しているのだ。
圧力のために立ち上がれない佐々木は、それでも手元の計測器の画面を見る。
ものの見事にすべてオーバーフローしている。
計測不可能。
それが今の状況だった。
精霊女王が抱いているのは怒りか、悲しみか。
この距離から伺えるその顔にはいかなる感情も宿っていないように思えた。
しかし。
そうではあるまい。
おそらくは、混乱しているのだ。彼女も。
その間にも、多田野君の身体からは血が溢れでて、倒れた地面の血溜まりを広げている。
助からない。
佐々木は直感した。
これから手当をしても間に合う傷ではない。
そして、佐々木には、今は何も出来ない。
打つ手はない。
事故だった。
犠牲者を出してしまった。
本来なら必要のない犠牲者を。
佐々木は強く悔いる。
不意に。
その場を覆っていた物理的な圧力がなくなった。
顔を上げてみると、倒れ伏す多田野君の手を精霊女王が握るところだった。
そのまま、仰向けに寝かし直し、再度多田野君の手を強く握りしめた。
なにを、するつもりなのか。
「ミコト、ミコト。」
薄れゆく意識の中で、僕は呼びかけを聞いた。
誰の声だったろう。
優しい声、懐かしい感じがする。
子供の頃に遊んだ誰か?
…違う、これはレイちゃんだ。
あれ?僕はどうなったんだろう。
ていうか、ここどこ?
さっきまで公園にいたよね?
何もない空間に僕は横たわっていて、その横には、僕の手を握っているレイちゃんの姿があった。
レイちゃんは大丈夫なの?
「えへへ。わたしは大丈夫。ミコトがいたから。」
…いや、僕、なんの役にも立ってなかったけどね…。
「ねぇ、ミコト?いま、自分がどうなってるかわかる?」
どうなってるって。
そういや拳銃で撃たれて。
もしかして、僕、死んだ?
死んで魂だけになってレイちゃんと話をしている?
「ううん。ミコト。ミコトはまだ生きてる。いまはね、ミコトの心に直接語りかけてる。ティアが言ってたの。」
心に直接?じゃあ、僕はまだ生きていてー…。
レイちゃんは静かに首を振る。
「でも、そんなには長くはもたないだろう、ってティアがそう言ってた。このままなら、ミコトは死んじゃうんだって。」
微笑んでる表情そのままに、レイちゃんの瞳から、涙がこぼれた。
一粒。
もう一粒。
やがてとめどなく、涙があふれた。
微笑みを崩さないのは、僕に不安を与えないためだろうか。
「レイちゃん…。」
僕は自由な方の手で、レイちゃんの涙を拭う。
「でもね?ミコト。」
レイちゃんが僕の手を強く握る。
「ミコトは、死なせない。」
微笑みの中の強い決意。
「わたしね、本当はもうすぐ消えちゃうんだって。だから、本当はずっと一緒にはいられなかったんだね?ミコトは知っていた?」
ずっと一緒にいたい、そう思った時、僕はそんなことは知らなかった。
どうにかしたいと思っていた。一緒にいたいと思っていた。
レイちゃんを救うために、何か出来ないか、そう考えていたんだ。たぶん、これまでの人生の中で、一番真剣に考えていたんだ。
でも。
「ミコトは、わたしに『嬉しい』をくれたひとだから。」
優しい微笑み。
「だからね、ミコト。
ミコトには、全部あげる。
わたしの持っているもの全部。
生命もなにもかも。
そうして、ミコトが持っていて。
わたしのことを全部。」
レイちゃんの顔が近づいてくる。
これは…。
柔らかな口唇が、僕のそれに触れた。
心と心の優しいキス。
そして。
「ミコト、わたしのこと、ずっと忘れないでいてね?」
レイちゃんの極上の笑顔が見えた、気がした。
最後の『枷』が砕けた。
レイが生命に働きかけたためだ。
制限された力では、生命に働きかけることは出来ない。
レイの思いが、遠く離れた場所にある『枷』を砕いた。
失いたくない、レイは強く願った。
その強い思いが結局は力となる。
そして、私が王だからこそ、世界樹の力を得ているからこそ、それも可能になる。
しかし。
仮にも生命への干渉だ。
代償が何もないわけではない。
術者の魂。
それを削る。
どのくらい削るのか。それは解らない。
そして。
相手は一族のものではない。
地球人だ。
ミコトの生命を救うために、差し出される代償の大きさは想像もつかない。
そもそもうまく行く保証もない。
…レイに方法を教えたのが間違いだったのか。
レイは、死にゆくミコトの生命を繋ぎとめるためには、自分の魂が必要だと解っている。
分かたれた魂だ。レイとしての容量はさほど大きくはない。
使えば、自分は失われるかも知れない。
それを知っての決断だった。
もしも。
レイが使わなければ、きっと自分が使っただろう。
やはり、身体に心が引かれてしまった。元は同じ魂だ。
ティアにとっても、もはやミコトは、旁にいたい、そう思わせる存在になっていたのだから。
ミコトの手を握り、額を合わせる。
なすべきことは、身体が解っている。
レイの想いに身を委ねるように、ただミコトに寄り添う。
外側から見ていれば、萌えいづる若葉の芽が無数に立ち上っていく幻影が見えたことだろう。
早回しのように肉体が修復していく。
生命を失おうとしているものに、世界樹から生命を注ぎ込む。
これは、精霊女王であるティアにしか行えないことだった。
そして、術が完成する。
ミコトの胸に開いた穴はふさがり、呼吸も穏やかになっている。
生命は助かったと見て良い。
レイの魂は…。
「陛下。」
旁にエルフの男性が立っていた。アーヴァインだ。
アーヴァインはエルフとしては、身長も高く、平均的な地球人のそれと同等である。
衣装は、以前の星の暮らしから変わらない装飾付きのローブ。
「秘術を地球人に?」
咎めるような響きがわずかに混じっていた。
「精霊女王の、私の窮地を救ってくれた英雄だ。その危機に瀕し、秘術を使うことをためらう理由などない。」
ティアは立ち上がって、アーヴァインを見つめる。
「陛下は我らの王。その決定に異議を唱えるものではありません。
…しかし、よかったのですかな?その地球人に、『世界樹』との絆が出来てしまいましたが。」
ミコトとの同意を得られる状況ではなかった。
刻一刻と死はそこに迫り、手をこまねいていては、確実にミコトは生命を落とした。
しかし。
最良の選択だったのかと問われれば。
「…ミコトに責められるのならば、甘んじて私が受けよう。
…アーヴァイン、何用か?」
顔を上げてアーヴァインを見つめる。
「『世界樹』が震えました。それで急ぎ、こちらの一族の反応を追って。
陛下が降臨なされた可能性が高かったため、拙速とは思いましたが、取り急ぎ私だけでも護衛をと。」
世界樹の震えは、そのままティアの感情の震え。
おそらくはミコトの死を意識した時だろう。
あるいは、レイの魂がー…。
不意に。
ドクン、と強く内側が脈動した。
「な、これ、は。」
脂汗が流れる。
急激に力が抜けていく。
アーヴァインが何かしたのか?
それとも、他の何かの影響?
生命への干渉の影響?
考えられる理由はいくつもあった。
そもそも、身体が完全ではないのは解っていた。
その状態でのすべての『枷』の解除を行ったのだ。
身体に無理があったとしても不思議ではない。
「身体を支えていたレイの魂がー…。」
ふぅ、とアーヴァインがため息をついた。
「やはり、急ぎ来て正解だったようです。陛下。今しばらくは、不自由を我慢していただきましょう。
…なに、ここまで出来ているのです。あとは自然と融合するでしょう。
…どのくらいの時間がかかるかは解りませんが。これまでだって十分に待ったのです。もう少しくらい待ったところで、精霊女王が復活するのであれば、それは問題にはなりません。」
言って、アーヴァインはティアの額に手を当てた。
佐々木は呆然と目の前で起きていることを見ているしか出来なかった。
精霊女王の力で、多田野命は生命を取りとめたらしい。
恐るべきことだった。
…死すべき運命ですら覆せるというのか…。
いや、それゆえに精霊女王なのか。
アーヴァイン。
エルフの最長老。
まだ生きていたとは驚きだが、それもエルフの長命を考えれば不思議ではないのかも知れない。
そのアーヴァインが精霊女王の額に手を当てた時、緑色の光が周囲を包んだ。
そのまま、精霊女王が力なく崩折れていく。
アーヴァインは静かにその身体を抱きとめると、多田野命の隣に横たえた。
「さて、地球の方。」
アーヴァインは佐々木に向き直った。
その表情は穏やかな微笑みだった。
…えっと僕はー…。
目が覚めた時、僕は病院のベッドの上だった。
「確か拳銃で撃たれて。」
そう思って胸のところを見るけど、どこにも傷跡はなくて。
「…もしかして全部夢オチ?」
…仕事忙しかったからなぁ…。
でも、夢オチだとすると病院ってのが腑に落ちない。
ああ、もしかして、テストまで終わったところで会社で倒れた?それなら病院っていうのも納得できるかも。
「よっこらせっと。」
およそ若者らしくない掛け声でベッドに半身を起こした。
夕方?いや、朝かな。
コツコツ、とノックの音。
「はい、どうぞ。」
先輩かな?
そう思ったけど、顔を出したのはー…。
「おはよう、多田野君。無事でなにより。」
佐々木さんだった。
ということはー…。
「ははは。もしかして夢オチだと思ってた?残念。全部実体験でしたー!」
…明るいな、佐々木さん。
「さて、いくつか君に報告があるわけだけど。
まず、君の身体だけど、銃で撃たれて、一度心臓を損傷したはずだけど、なんともありません!いやぁ、すごいね、多田野君、君の生命力は!」
いや、それ僕の力じゃないですよね。
覚えている。
レイちゃんの最後の言葉。
『ずっと忘れないでいてね?』
忘れるはずもない。
僕に生命をくれた小さな優しい妖精。
不安げに僕を見上げる瞳も。
一生懸命、ハンバーガーを食べていた姿も。
そして、なにより、あの微笑みを。
右手を開き。握った。そうすれば、そこにあの体温を感じられるかとでもいうかのように。
あー…僕、この先、恋愛出来るのかなぁ…。
「ついでに。警察に通報が行ってしまったけど、あれは事故として処理してあるから、君はおとがめなし。よかったね?」
あいも変わらず明るい佐々木さん。
このひとと一緒だとひたることもできないなぁ。
「最後にー…。」
「ミコト!」
病室の入り口から駆け込んできた小さな身体。
ゆるふわカールの金髪と長い耳。
すらりとした手足のそのひとは。
「ミコト!ミコト!」
ベッドの上の僕に飛び込んできて。
ぎゅっと強い力で抱きついて来て離れなかった。
「…レイちゃん?」
呼びかけに。
「うん!」
強い頷きが返って来た。
「とまあ、こういうわけなんだけどねー。」
佐々木さんの明るい理由はこれかー…。
失われなかった、ということなんだろう。
僕には理由が解らないけれど。
「あのあと、エルフの最長老がやって来てね。精霊女王への再度の封印を掛けたんだね。」
微笑ましいものを見るように佐々木さんがいう。
不意に。
僕の胸の中のレイちゃんの雰囲気が変わった。
あー、これは。
「ミコト。実はギリギリのところだった。そなたに世界樹との縁を結ぶ秘術により、私の力は暴走するところだったのだ。アーヴァインが、それを抑え、念の為、とリミッターをかけた。
…それゆえに、レイの意識も寸前で私に飲まれなかったのだ。いずれ、時間をかけてゆっくりと私とレイは同化して行くことだろう。身体への魂の定着は成ったのだ。そもそも、王の継承とは、ゆっくりと時間をかけて行われるものなのだ。」
…正直、何を言ってるのか解らない。
でも、レイちゃんも失われずに済んだし、ティアさんもそのままってことになるというのだけは解った。
「だから、ずっと一緒。」
レイちゃん?ティアさん?どっちの言葉だろう?
再び、ぎゅっと抱きしめられる。
えっと、いろんなところの感触がアレでナニなんだけど…。
「E.L.Fビルの方の修復は、数日で出来るだろうし、そのあとからになるかなぁ。」
佐々木さんが意味不明のことをいう。
どういうこと?
「ん?ああ、我々としてはエルフの技術が欲しい。でも、そのためにはエルフの協力が必要でね?幸い精霊女王陛下は協力を約束してくれてね?」
ははぁ、なるほど。ティアさんの方が協力するということなら、レイちゃんで何かする必要はないだろうなぁ。
なにしろ精霊の王なんだし。
「ついでに多田野君もE.L.Fにヘッドハンティングー!」
テンション高めで佐々木さんがいう。
はい?
応じたのはティアさんだった。
「レイの望みだ。仕方あるまい。ミコトと一緒にいたいと、本来の身体の持ち主がそのように言うのだ。
…断じて私の意思ではないぞ…。」
…照れてるよねー…。
「まあ、実はそれだけじゃなくて。例のエルフの最長老から聞いたんだけど、どうやら君はもう普通の地球人じゃなくなってるみたいなんだね。なんでも彼らの言葉によれば『世界樹と縁ができた』とのことだけど。
それがどういうことなのか、経過観察もしたいんだよね。」
僕、実験動物!?
「特にひどいことはしないから大丈夫。君だってレイちゃんと一緒の方がいいんでしょ?」
「ミコト、わたしといっしょにいてくれるよね?」
金髪美少女エルフに、うるうるした瞳でそう言われたら、答えは決まってるじゃないですかー。
僕はレイちゃんのふわふわの金髪に手をおいて。
「そうだね。ずっと一緒にいようね。」
返って来たのは、極上の笑顔だった。
後日。
僕たちはE.L.F本社の近くにあるホテルのスィートルームにいた。
E.L.Fで用意したものだ。
なんでも精霊女王の住まいにするには、最低でもこのくらいは必要だろう、との配慮だそうで。
なぜか、僕の私物も運び込まれていて。
さすがに心臓を撃ち抜かれた僕は、そのまま退院とは行かなかったんだけど、検査のために2日ほど入院して。
…その間に僕のアパートを引き払ったみたいなんだよねー…。
まぁ、別にアパート暮らしに未練があったわけではないんだけれども。
レイちゃんとの同居はもう前提なんだ…。
どういう配慮なのか、ベッドはクィーンサイズのひとつだけ。
初日こそ、なんとかソファで寝たものの。
やはりベッドの誘惑とレイちゃんの見つめるうるうる瞳には勝てず。
…それ以外の誘惑の方が厳しいんだけど。
一度、誘惑に負けそうになってー…。
「…ミコトが望むのならば、私は…。」
ティアさんになってて、なんだか薔薇色の頬と、漏れ出るため息が色っぽ過ぎて、自分でも制御不能になって、慌てて元の位置に戻ったり戻らなかったり。
基本はレイちゃんなんだけど、自由にティアさんも出てこれるようにはなってるみたい。
E.L.Fへの協力の時とかはティアさんになってる。
普段はレイちゃん。
でも、時々、ドキッとすることがあるけど、あれはレイちゃんとティアさんのどちらなんだろうか。
僕にそれが解らないってことは。
…それが融合が進むってことなのかも知れないね。
今はレイちゃんがすごく幼い感じだけど、レイちゃんの成長がそのままティアさんとの融合ってことなのかも知れない。
「まあ、今はホテルで我慢して貰ってるけど、近くマンションを用意するので。」
とは佐々木さんの話。
いや、我慢とかしてないんだけど。
しかし、精霊女王用のマンションかー…。
「エルフの『ゲート』だっけ?あの座標の固定にも専用の場所があった方がよいみたいだしね。E.L.F本社に部屋を用意したかったんだけど、まあ、いろいろあってね。」
とは佐々木さんの弁。
そういや、入院中に、社長が来て。
「多田野君、多田野君、キミ、クビな。はっはっはっ。そうしないとE.L.Fから注文来なくなるらしいんで。
…おまえ、何やったんだ?」
そう豪快に笑って帰って行った。なんだか僕のクビと引き換えにE.L.Fからの大口発注が約束されたらしく、異例のことではあるけど僕の退職金もくれるとかなんとか。後日口座を確認したら当面の生活には困らないくらい振り込まれてました。ありがとうございます。
まぁ、僕はE.L.Fに拾われることが解ってたわけで、それ自体はさほどショックじゃなかったけれども。入院している間に勝手にいろいろ手を回してるんだもんなぁ。
そして今。
ホテルの部屋には佐々木さんと最長老とやらのアーヴァインさん、それと見知らぬエルフの女性がいた。
エレインと名乗ったそのエルフの女性は、身長も僕に並ぶほどだし、なによりエルフの伝統的な着衣であるローブ越しでも解るほどのダイナマイツボディの持ち主だった。見た目の年の頃は二十歳を過ぎたくらい?
…やっぱりいるんだねぇ、エルフにもこういうひとが。
それで。
そのエレインさん、なぜかみんなの前で正座させられている。
「日本では、悪いことをしたら、正座で反省という文化があると聞いている。」
とはティアさん。
「…エレインは実は長老衆のひとりなのだが。」
アーヴァインさんが、口を開いた。
「実はだね、あの日、E.L.Fの最上階にエレインがいたのだ。どこの国だったかな。また気象異常が発生しそうだということで、相談を受けることになっていてね。」
なるほど。
E.L.Fが各国とエルフを繋ぐ窓口になっているというのも、実はこの前佐々木さんから聞いたばかり。
「相談そのものは問題はなかったし、解決策もすでに準備されている。そのままで済めばよかったのだが。」
アーヴァインさんの口調は重々しい。
「なんでも『接待』とかいう文化があるらしいね?」
なんだか、変な単語が飛び出してきた。
「…このエレインは、その『接待』が大好きでね…。その、なんだ。カラオケとかいうのが。」
…とんだ俗っぽい長老がいたもんだ…。
「その日もアレだ。『接待』でカラオケをやっていたらしくてね。まあ、無意識だったんだろうが…。
…『声(ヴォイス)』を発動した。」
えー…。
「ここまで話せば解ってもらえると思うが、つまりは、あの日のE.L.Fビルでの爆発は彼女のせいなのだよ。」
アーヴァインさんの言葉を佐々木さんが引き継いだ。
「そのこと自体は…まあ、それはそれで問題があるとして。実は、封印はレイちゃんの部屋の近くにあってね。最初の『声(ヴォイス)』で最上階の壁とか破壊されてしまったから、偶然、レイちゃんが封印に触って解除してしまったみたいなんだね。その後、壁の破壊による天井の崩壊が始まって。」
…レイちゃんが窮地に陥ったわけなのか…。
「うう…ごめんなさい、ごめんなさい…」
ティアさん(精霊女王)の冷ややかな視線の前で小さくなるエレインさん。
「お詫びに、『世界樹まんじゅう』を買って来ました。みなさんでどうぞっ!」
エレインさんから差し出されたのは、世界樹を模したデザインのまんじゅう。
…そんなおみやげも売ってるのか。
「そういうわけですので、陛下。彼女の処遇、いかがいたしましょうか?」
アーヴァインさんがティアさんに向き直る。
「さて?」
ティアさんは顎に手をやって、エレインさんを見下ろしている。
処遇、処遇ねぇ。でもさぁ。
「ねぇ、ティアさん?」
僕はティアさんに近づいて耳打ちした。
「終わりよければすべてよし、って言葉も日本にはあるんだよね。だからさ。結末だけ考えて、あんまりひどいことは…」
ティアさんは小さく頷く。
そして僕にだけ聞こえる声で呟く。
「この件がなければ、私はミコトに出会えなかったのだからな。罰を与えるよりも感謝をしてもよいくらいだ。」
ぼっ、と僕の顔が赤くなった。
佐々木さんは、何かを悟ったのかニヤニヤしている。
「佐々木。私の住居はまもなく用意されるのだったな?」
「はい。陛下。とびっきりのを用意させて頂きますとも。」
「ならば。エレイン。」
びくっと肩をすくませるエレインさん。
「そなたに命ずる。週に一度、我が住居を掃除せよ。」
えー…。長老にメイドさんみたいなことやらせるの?
同じ事を思ったらしいエレインさんの耳が下がっている。
「期間は100年。なに、我が一族からしてみれば、さほど長い期間でもない。
…そうだな。日本の文化に則って、メイド服でも着てもらおうか。」
ビミョーに日本の文化と違うんですけど、それ。
がっくりとうなだれたエレインさん。
精霊女王の言葉に反論は許されないものらしい。
「以上だ。」
そう締めくくられて、エレインさんとアーヴァインさんは『ゲート』で帰って行った。…エレインさんのすすり泣きの声が物悲しい。
まあ、この決定だと、エレインさんとはしょっちゅう会うことになりそうだけど。
「さて、僕もそろそろお暇しようかな。あ、多田野君の入社手続きは勝手に済ませて置いたので、呼び出しがあるまで、ここで陛下と待機しているように。
…まあ、外出は自由だけれども。携帯でいつでも連絡が取れれば問題なし。
でも、この街を離れる時は連絡が欲しいかなー。例の『世界樹との縁』がどう影響するのかデータが欲しいからね。」
言い残して、佐々木さんも帰ってしまった。
うん。どうやら、これから数日は暇になったということみたいだ。
「ミコト。」
ティアさんが僕に向き直る。
「結果から言えば、我が一族が迷惑をかけた。そのことに対してはすまないと思っている。だから、そなたが望むのならば、出来る限りの配慮はしよう。
…その、我が身を望むのならば…。」
頬を染めながらうつむく。
そして小さな声で。
「…いや、地球人の男性は、むしろエレインのような姿の方がよいのか?」
ははっ。解ってないなぁ、ティアさんは。
「あのね、ティアさん。本当に抱きしめたい、一緒にいたいと思うひとっていうのは、姿形なんてどうでもいいんだよ?重要なのは…、僕が抱きしめたいと思うのは…」
「「好きだから。」」
声が重なった。
「か?」
はにかんだ微笑みのティアさん。
やや、顔を上げて、目を閉じた。ゆっくりとお互いの口唇が近づいていく。
「ミコト!大好きっ!」
急にレイちゃんになって抱きついてきた。
ぎゅっと両腕に力が入っている。
「わたし、ミコトのこと、大好きだから抱きしめるのっ!」
ほとんどすがるような姿のレイちゃんを僕も両腕を回して抱き上げた。
「…やれやれ。いい雰囲気だと思ったのに、レイのやつめ…。」
一瞬だけティアさんに戻って、彼女はそう呟く。
まあ、残念といえば残念かな。
でも、いいんだ。
僕は、ティアさんもレイちゃんも同じくらいに大好きだからさっ!
Fin.

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